直に闡明され得るなら分明となるはずのところをそれが出来ない事情があるため、一層ものごとが複雑になっているというような、二重の複雑が平凡な民衆の生活の思いよらぬ心持の隅にまで影響している。
従来の純文学の題材、手法は、こういう困難な日常におかれている人々の感情にぴったりしなくなった。作家の社会的孤立化に対する自覚と警戒、その対策が、文学の大衆化の呼声となって現れて来たのは、本年初頭からのことなのである。
こういう事情でとりあげられているきょうの文学の大衆化の問題について、二つの問題が常にこんぐらがってもち出されて来ている。それは、文学の大衆化ということの本来の実体についての第一に行われるべき研究と、一人一人の作家が自分の芸術を大衆化してゆくにはどういう実際上の方法によるべきであるかという第二の研究とが、とかくいちどきに語られている。そのために、先ずはっきりと知りたい「大衆」という言葉の本体さえ見きわめられず、漠然、作家も大衆の感情を感情せよという風な流行が生じ、そのことは結果として、あり来った純文学の単純な在来の通俗化をひき起したりしている。『文学界』六月号所載川上喜久子氏の「郷愁」
前へ
次へ
全10ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング