十分知られている数語で表現されるであろう。それは、作家自身の生活の大衆化であり、作家自身の大衆の一員としての生活感情の現実的な体得である。思うに、今日の現実生活のうちで、真に人間として、芸術家として自分の生き方を考え、求めている作家たちならば、自分たちの境遇がインテリゲンツィアとしてもどんなに大衆の一員としての共同条件に圧され、支配されているか、はっきり痛いほどわかるはずだと思う。一時、この点に関して、作家の労働者化が外部的に云われた時代があったが、今日は、インテリゲンツィアとしての日常からも真にインテリゲンツィアたらんとすれば当面する疑問があり、そのことでは労働者の持つ疑問と一致して来ているところに、時代の深刻な推移が反映し、文学に新たな内容のヒューマニズムが求められる理由があるのである。
 こういう生活地力の方からの大衆的感情、感覚なしに、作家や評論家が従前のとおり大衆対作家・評論家というような位置を仮想しつづけて、どういう作品を大衆に与えるか、という風に問題を出したのでは真の大衆化はないし、文学における人間性の再表現も行われ難いのである。
 人間らしい真面目な、情の深い、慮のある、平和をこのむ人間が、自身の人間性を守ろうとする必要を犇々《ひしひし》と感じ、その情熱で動かざるを得なくなっているところに、これまで云われて来たプロレタリア文学というものが、更にヒューマニズムへの拡大された要求を示している必然があると思うのである。[#地付き]〔一九三七年七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「文化評論」
   1937(昭和12)年7月創刊号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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