高める役割さえ、ここでは抹殺されているのである。
プロレタリア文学が、運動としての形をもっていた時分は、当時の一般的な事情からの関係もあって大衆というものの内容を労働者農民中心に規定していた。後、社会の事情の変遷につれ、中間層、下級サラリーマン、インテリゲンツィアの生活条件の変化によって大衆という内容はひろくなった。自身の日常の生活を自身の働きで支えている一般の勤労生活者をふくむものとして理解されて来ている。
今日、こういう意味での大衆の内容は益々広汎、複雑になって来た。何故なら、この四五年のうちに、かつては利潤生活者であったインテリゲンツィアの或るものが今は三四十円の下級サラリーマンになって生活と闘っている事実はざらであるし、中学を出て後、もとなら苦学して高等学校へでも入ったようなものが、今日は経済事情の変動から養成所へ行って大工場の労働者となっている例も少くない。このような場合は、インテリゲンツィアの勤労者化のみならず労働者の質をより近代的に変化させる結果となっている。経済上にあらわれたこういう事情は、文化の方面にも深い影響をあらわし、今日の真面目な勤労生活者はひところのように左翼的な専門の教養をもっていなくても、現実の生活教育によって、それぞれ生活からの欲求として、日常生活の上のより明るい合理的なもの、そして文学としては自分たちの生活の心持を語っている文学を求めているのである。
文学の健全な大衆化は、この方向に志されなければならないということは、文学の発展ということを私心なしに考える者なら判断し得るところであると思う。
人間らしい生活に対する翹望というものは職場、職分の相違、したがって細かい気持の部分部分では全く同一でないにしろ、働いて、税を出して、あてがいぶちの賃銀を払われて暮している者すべての人々を貫いて流れる一線である。この共感は、社会事情の一方からの圧力によって益々高められて来つつある。謂わば人生の歴史の或る四辻のようにさえ見える。こっちからインテリゲンツィアとして真面目にこの毎日の生活、人間としての生活の問題と一歩一歩闘って行って出た広場には、あちらの小路から工場の方から次第次第に欲求を追って進んで来た人々、更にそっちの耕地から農民としての生きる道を押して来た人々がおのずから落合うというようなところがある。こういう目に見える形ではないが、或る心持でそういう接近があり、それは今日、文学の上で大衆性を語る場合の特徴をなしているのである。
プロレタリア文学の歴史はさまざまの曲折の道を辿るであろう。そして、その一曲の一折れは、それぞれ当時の歴史の客観的な事情と結びついて現れるのである。今日、プロレタリア文学の歴史的諸相の一つとして文学の大衆化を考えた場合、どうしても数年前とはちがう大衆そのものの広汎複雑な構成、その勤労的性質に即さねばならぬ。そこでは左翼的な意識の有無が第一の問題とはならず、或る勤労条件、生活環境におかれた一人の人間が、自分の人間らしい心持から周囲と摩擦し、自分自身の内にある新しいものと古いものとの間の矛盾を感じ、使うものと使われる者との必然的な利害の対立を感じ、そこに人間らしい解決を求めようと努力している。そういう努力の姿としての人間性が芸術化されるのを待っていると思う。文学の本質は、くりかえして云うが、その芸術の魅力によって、人間の心持を高める一つの確固不抜な要素をもっているものであり、少くとも文学として或る作品を手にとりあげた時、大衆は、自分の心持が人間として高められることを自然に求めている。勿論、直接の感覚としては面白さを求めるとも見えるが、面白さの要素は心理的に綜合的なものであり、探偵小説、怪奇小説の類でさえ書かれている世界のリアリティーは、面白くない面白いを決定する重大な契機となっている。
面白さが読者大衆から要求されているということを、すぐエロティックなものだのチャンバラだの、くすぐりと見なすのは大衆の感情そのものを実際知らないものであるし、作家らしからぬ粗笨《そほん》さである。大衆の生活の現実にふれてゆく社会的リアリティーが作品というものの窮極の面白さであることには疑いない。大衆の人間的苦悩、時代の重しを感じ、それらの重みを欲していない心持の身じろぎを捕える芸術の社会性、そのような今日の顕著な人間性のリアリティーをもち得なくなったことから、従来の一部の作家が文学の大衆化を叫び出し、しかも大衆というものの誤った理解から誤った通俗化、低俗化への道を辿りはじめ、文学そのものを腐敗させつつあることから見ても、このことは明らかなのである。
個々の作家が、それならば、どのようにして今日の人間性、大衆の生活感情を作品に反映してゆき得るかと云う点になると、答はまことに平凡な、耳馴れた、既に
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