った。有島武郎、芥川龍之介という二人の作家の死は、日本文学の成長を語るとき、見落すことの出来ない凄じい底潮の反映として考えられると思う。
 それにひきつづく略《ほぼ》十年間、一九三三年頃まで文学の主潮はプロレタリア文学にあり、日本の歴史のふくむ複雑な数多《あまた》の原因によってこの潮流の方向が変えられると共に、文学は、その背景である社会一般の生活感情にあらわれた一種の混迷とともに画期的な沈滞と無気力に陥った。
 この時分から、今日では簇生と云ってよい程に殖えている文学の賞がそろそろ現れだしたということは、真面目に文学を考える者の深い注意を牽く点であろうと思う。それ以前、小林多喜二を記念する賞があったが、それは広汎な影響を持つ間なくして消され、一九三三、三四年ごろから芥川賞、直木賞、文芸懇話会賞等が出来た。丁度、一部の作家が文芸復興ということを唱え出し、而もそれには現実の根拠が薄いので一向実際の文学は復興しないというような時期、一種の刺戟として、決められた形であった。当時の文学のありようから、真の新進、精鋭は見出し難く、受賞の範囲は、それぞれの作家の若々しい未来を鼓舞し祝福する方向に赴か
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