。然し、はたしてそれは実際にあり得ることであろうか? 世界の歴史を見ればあきらかなように、純粋に孤立して社会発達をとげた一民族というものはなかった。民族は互に関係しあい、入りまじりあって発展して来るのであって、日本のような狭い土地の上でさえも、海という自由な広い道を通って、人類的にはアイヌ、ツングウス、インド支那、漢人、ネグリート、インドネシアなどがまじりあった民族が今日日本人として栄えている現状である。従って民族間の文化の差違というものは、交通の発達その他科学力の発達につれて、非常に速く動くものであり、絶対の相違ということはいい得ない。われわれの日常生活における実際の例をとってみても分るように、今日われわれにとってアメリカと日本との文化の相違は、決して同じ日本における封建時代の文化と、今日の文化との間にある相違ほど大きくはないし、絶対でもないのである。
その時代時代に依って文化が違うということだけを切りはなして問題にされることがしばしばある。ある時代精神によって文化が支配されるという考え方である。たとえば昨今のように「非常時」という一つの時代精神が基本となって、われわれの今日の文化
前へ
次へ
全18ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング