え奪ってしまっているのが今日の現実である。そもそもなぜ農村と都会との間にこのような文化のおびただしい相違が起るのであろうか? 元来、資本主義の社会にあっては、農村は資本主義生産のいわば植民地のようなものである。農村は都会の工場へ安い原料、労働力を提供して都会の工場主たちがこしらえた高い生産品を買わされている。特に日本のように農業の方法及び、地主と小作との関係が封建的な形のままで残されているところでは、農村の支配的な物の考え方はどうしても封建的な物の残りが今日なお強い影響力を持っている。世界の経済発達の歴史を拡げてみると日本の近代資本主義は日本の農業の以上のような特色ぬきにしては、今日まで発達し得なかったことがあきらかにされている。したがって資本主義の社会を支配するものにとっては農村がいつまでも封建的な残りものの中に閉じこもっている方が安心であり便利である。まして昨今のように世界の経済恐慌につれて、米の問題、繭値下りの問題など、農民の生命をおびやかす問題が一向に具体的な解決を見ないでますます切迫するばかりである時代においては、いわば農民が自分たちのしょっている一戸あたり八百円という恐しい
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