文化の様相を決定するのは生産力である」という社会の事実である。
さて、前述のように、人間社会の生産力の発達につれて、今日まで発達して来た文化をおおまかにさかのぼってみると、まず始めに原始的文化があり、古代的、封建的文化の時代を経て近代資本主義的文化を持つ今日、という風に分けられると思う。ここでわれわれの非常な興味を引くことは、例えば同じ徳川時代の封建的文化といっても、そこには上方文化即ち貴族、武士の文化と江戸大阪などの町人文化とが存在したことである。これは疑いもなく武士や貴族が能や円山派の大名好みの絵などを好んだに対して、当時斬り捨て御免の境遇におかれてあった町人がその生活から決して彼らと同じ趣味を持つことができず、独特の文学や音楽、芝居などを作った証拠である。同じ封建時代でも威張るものと、威張られるものとの感情の中にはそれだけあきらかに社会生活における一致しない利害が反映しているのである。
そして、又どういう時代においても利害を異にして対立する階級の文化が、同じ権利で社会の上に現われて来るということはない。必ず当時の支配階級の文化が、独裁的な形態をとって現れるのが常である。有名な源氏物語は藤原時代の封建貴族文化の精華であるといわれているが、あの作品は同じ藤原時代に文盲ではだしで一度び飢饉が来ると道ばたに倒れて飢え死んだ庶民のいかなる心持ちをも反映してはいないのである。文字そのものさえ、貴族に独占されていた。現在の中国がそうである。一九一七年までのロシアの農民の生活がそうであった。土地を独占していた貴族は文化を独占したし、工場と機械とを所有しているものが今日では文化の機関をも独占している事実はもっとも分りやすい形で今日のわれわれの生活の中に現れている。たとえば非常に大組織で雑誌の出版をおこない、月に数百万部の雑誌を売っている講談社はそれだけの雑誌をこしらえ得る機能を独占していると同時に、それらの雑誌によって、支配的階級が拡げようと欲するような傾向に文化を独占しているのである。
今日われわれの周囲を取りまいているものは以上によってあきらかなように、資本主義文化であるが、この資本主義文化そのものの中に、過去の封建的文化の残りものがあるし、本質的にブルジョア文化とわけることはできないが、さまざまの点で特徴を持っている小ブルジョア的文化があり、さらに農民の文化及びプ
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