ロレタリア文化の萌芽などがふくまれているのである。同時に、ブルジョア文化は今日深刻な内的矛盾を持っている。
 なるほど、ブルジョア文化も封建時代の文化に対抗して自然科学の力を正面に押し出して闘った初期においては、確かに進歩的な大きな役割を持っていた。封建時代よりは、より広汎な大衆の利害を代表するものとして役立った。然し貴族と僧侶に反抗したブルジョアジーが自身を支配階級として確立して生産手段を次第に独占するにつれて、彼らの文化に矛盾が現れて来た。労働と消費とがそれぞれに違った階級に属していること、肉体労働と精神労働とが極端に分裂していること、労働の極端な専門化、都会と農村との分裂など資本主義そのものが本質的に持っている諸矛盾が文化の上にも強力に反映して来ている。そして現在にいたってはすでに全社会の人類のための文化ではあり得なくなって来ている。

 この頃新聞雑誌の上で、身上相談が大流行であるが、かつて私は非常にわれわれに多くのことを考えさせる一つの相談と解答とをある新聞の上でみたことがある。十八九の青年が投書しているのだが、自分は何とかして東京に出たい。村の生活は年寄たちが古風で理解がないばかりか、青年たちの生活もその内幕に入って見ると恐しいほど程度が低い。酒を飲むことと、夜遊びが唯一のたのしみで、本さえ手に入れることはできない。うっかり本を読むとなまいきだとか、変りものだとかいわれるばかりでなく、東京から『改造』をとって読むようなものは、村の駐在の注意人物とされる。自分はもっと光明のある生活がしたい、そのために、東京に出たいがよい方法はないかという相談である。解答者は、たぶん山田わか女史であったと覚えているが、女史はその青年の都会へのあこがれを丁寧に訓戒し、都会生活の醜悪であることを話し、あなたの使命は東京へ出ることでなくて、村に残り、自然の美を理解して新鮮な空気をたのしみながら、自分の周囲に清い社会を作って行くことであると答えられてあった。
 その時、私の心に強い一つの疑問が起った。それは、この青年の他に何十万人という同じ心の青年がいるであろうが、はたしてその中の一人でも山田女史の解答で満足し得たかどうかということである。東京にばかり暮すものには、想像できないほど農村の文化水準は低く、農民は楽しみの少い暗く苦しい日常を送っているのである。農村の恐慌は農民から新聞さ
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