フファシストとして大活躍をした反動者を含む二十人の戦犯人がA級戦犯被告としてとりのぞかれた事実も耳目をあつめた。特に、このグループの間に安倍源基のいることは、日本の治安維持法がどんな惨虐を行ったかを知っているすべての人々の注目の的である。安倍源基は、一九二八年以来、日本の人民の良心を奪い自由を抑圧して来た治安維持法そのものの、人格化された存在であるとさえいい得る。彼は、警視庁特高部長、警保局長、警視総監、という着実な一歩一歩を、自身の経歴に重ねた。安倍源基の閲歴そのものが、日本のファシズム強化の具体的表現であり、戦争拡大の地図である。彼の一歩一歩の立身は、彼の指揮する弾圧によって殺された人々の血にみたされている。そしてこれは決して誇張ではない。日本の治安維持法は十万――人の犠牲者を出しているのである。
日本に治安維持法があったということと、その法の適用にあたってあらゆる残虐・虐殺が行われてもよかった、ということとは別である。もしこの二つの別なことが一つのこととして理解されてよいならば、現在東京裁判が、捕虜に対する残虐行為者を公判していることはその人道上のモラルを失うだろう。
日本の人民の悲劇のなかにファシストと治安維持法の演じた役割は中世的流血をもって彩られている。今日、日本の誰が、ファシストを必要としているのであるか、今日、誰が、治安維持法の改悪の諸段階を一身の閲歴としている人物を必要としているのであるか。
日本民主化は四七年度において欺瞞の度を強めた。反動と保守が政府の政策のたて糸であった。一九四七年末から四八年初頭にかけてすべての日本人民は巨額な納税の負担に苦しんでいる。インフレーションはとめどがない。千八百円ベースは保ちきれなくなって、二千四百円ベース案を政府は提出しているが、勤労人民は、それをうけ入れかねている。千八百円ベースに、家族手当や残業手当その他の給与を加えて、今日どうやら実収二千円以上に近い程度の大多数の勤労者は、二千四百円ベースになると、却って実収は現在より減少する。勤労所得税がより高率にかけられることと二千四百円ベースには今日の諸手当が全部合算されてしまうからである。勤労人民が生活安定を求めて団結する力を扱いやすい形に分裂させるため、組合民主化運動と称する分裂運動が盛に行われている。この運動は、その本質にふさわしく買収の方法もとっている。一般市民の過重な課税に対する抗議と官公庁勤務者たちの生活安定のためのたたかいとは互に共通な生活擁護の必然を理解しあっている。
片山内閣は難航の末、一九四八年二月十日総辞職をした。すべてのジャーナリズムを動員して吉田の自由党支持の世論をまとめようとした。しかし一ヵ月後に辛うじて形成されたのは芦田内閣である。芦田内閣は、その第一歩において二千四百円ベースの問題で波瀾に面し、その反面では、西ヨーロッパにおけると同様に日本に対する集中排除法の緩和に関するドレーパー次官との折衝に尽力している。
日本政府は追放に関する諸機関の任務が遂行されたものとして一九四八年五月十日までに審議終了、廃止することを公表した。一九四六年一月の追放令発表以来、今日まで審査件数約百万。追放該当者二十万人であった。
日本の社会および文化問題として、この追放該当者の行方が問題である。日本の民主化に関係をもって、日本の「民間人」の素質を検討することがきわめて重大な課題である。元陸海軍軍人の上級者が軍需物資を持参金として民間会社社長その他に転化した事実について知らないものはない。追放に該当したファシストたちが、「民間の塾」を開いたり、「民間のジャーナリスト」になったり、開拓者になったりしている例は少くない。一九四七年の夏、軍事的半封建的なシステムをもって運営されていた町会が解散されたと同時に、各町会役員の変形した活動舞台である「文化会」がその町の顔役やボスによって組織された。日本の「民間的」諸企画は周密にその本質をしらべられる必要がある。
一九四八年三月に、右翼反動団体の財産否定に関する指令と、農場開拓に関する制限の指令がGHQから出されたことは日本の現実における「民間」の複雑性に対応する処置であると認められる。
日本の人民にとってこの世紀の基本的課題は、真に民主的な本質における民主主義によって徹底した社会を確立することである。文化の全問題はこの基本的な課題の線にそって検討されるものである。
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※[#ローマ数字1、1−13−21] 新聞・通信・ラジオ 出版 雑誌 書籍
1 新聞・通信・ラジオ
A 新聞[#「A 新聞」はゴシック体]
戦争中日本人民は正確な言葉の意味においては「新聞」をもたなかった。あらゆる日本の新聞は戦争遂行のための宣伝機関紙であった。国民は毎日二頁の軍事官報を読まされていた。一九四五年八月十五日以後に全人民はこれまでよまされていた大本営発表がほとんどすべて虚偽であったことを知って驚いた。
第一期[#「第一期」はゴシック体] 治安維持法をはじめ言論・出版の自由を抑圧していた法令が撤廃されると同時に、新聞民主化の動きは経営者側からというよりもむしろ読者と編集者たちとの間からたかまった。読者のための新聞、日本の民主化にふさわしい新聞の編集という要求によって紙面の刷新が行われた。社説は輿論の中心題目であった天皇制の問題、農地改革と日本の農村民主化の問題、労働人権擁護問題、憲法改正問題、総選挙について活溌にとりあげた。封建性に対する批判、官僚主義の批判、金融財閥に対する批判、戦争責任追求についても積極的であった。各新聞が投書欄を拡大し調査機関を再建した。新聞が勤労階級の民主化に助力する可能を多くするために漢字制限を行った。戦時中日本全国に日刊新聞社五十四社があって、大体一県一紙主義で統制されていた。そして数年来新聞の共同販売制が実行されていたため各社間の競争がなくなり、読者は受身に配給される新聞にあまんじた。各紙とも低調におちいった。一九四五年以後言論の自由と出版の自由とのために全国に日刊紙が続々と発刊されはじめた。そして一年後に、新しく生れた新聞社は百数十社を数える。
各政党は何らかの形で自党の新聞発刊を計画した。日本共産党は機関紙として『アカハタ』を発刊した。日本社会党は『社会新聞』を発行している。自由党、民主党その他の政党は自由党が読売新聞を操縦しているようにそれぞれの新聞との間に経済的政治的関係を保っている。
第二期[#「第二期」はゴシック体] 新聞が軍事的官報でなくなることを強力に宣伝することが戦後の新聞経営者の繁栄のために必要な仕事であった。第一期間、経営者が新聞の自主的な民主化や従業員の組合活動の自由を受け入れていたのはこの理由によった。第二期においては経営者のおそれた新聞経営事業の前途は比較的安全であるという見通しがついた。新聞関係の戦争責任追及も彼等が心配したほど徹底的には行われなかった。用紙不足は全国的現象であるが割当は紙の全消費量の八〇パーセントを与えられている。同時に吉田内閣の反民主的政策の現れとして全般的に勤労者の自主的民主化運動への反撃が開始されたために、紙面が沈滞の傾向をたどり、経営者が発言権を回復した。読売新聞社の第二次の争議勃発とその結末とはこの時期の新聞界の波のさしひきを代表的に示している。特筆すべきことはこの期間に各種労働組合の機関紙が発刊されはじめたことである。
これまでの日本にはなかった文化新聞も発刊されはじめた。日本民主主義文化連盟発行の『文化タイムズ』、人民新聞社『人民しんぶん』、青年新聞社『青年新聞』、YWCAの機関紙『女性新聞』。
婦人のための新聞が発行されはじめたことは婦人の参政権獲得と婦人の生活の民主化のために注目されなければならない。やや保守的な傾向のもとに編集されている『日本婦人新聞』のほか日本の民主化にひろく貢献するために発行されている『婦人民主新聞』がある。
盲人のための点字新聞は戦盲者のために重要な必要があるが、これは毎日新聞社発行の一種類しかない。
子供のための新聞は『子ども朝日』、『学童新聞』、『こどもの声』『少年少女新聞』等が発行されている。
グラフィックが流行していることも注目される。『サン・ニュース』はその一つである。
第三期[#「第三期」はゴシック体] 各新聞社は確実な営利事業である経済的利益を守るために、第一期の活溌な民主化への協力的態度をすてて意識的に保守勢力に追随し後退した。一九四五年九月に発表された日本への「新聞紙法」―プレス・コードは日本のすべての新聞に報道の真実を守り民主的な新聞の責任を示した十箇条から成りたっていた。第三期に入ってからプレス・コードは日本政府の微妙な形での統制と、その時どきの政権にとって有利の方向へ輿論をおしながしてゆく便宜のために利用される傾きが明らかに見られるようになった。各新聞は、国際政経記事において貧弱である。諸外国の新聞の報道に遅れていることはもとより、報道そのものが往々「報道の真実」である客観的な国際現実をゆがめていることもある。戦争中の御用新聞であったときの習慣である卑屈さと、半封建的な権力への屈従の因習が清算されていない。そのために、民主国の大統領の写真や言説が、最近まで天皇を扱ったような時代錯誤的な取扱いをされたり、日本における連合軍の首脳者が、天皇のような半封建的空気につつまれて新聞紙上に扱われたりする場合もある。このような現象は、日本の新聞人の神経が外国の新聞読者にみられない屈従の習慣をもっていることを示すと同時に、その対象となる個人の社会的利益のために少くないマイナスであると思われる。何故ならば、一人の民主的な社会活動家が、進駐先の諸新聞に半封建的な権威をもって扱われているのをみれば、本国の民主的有識者はそのような状況に対して批評なしにはいられないであろうから。日本の新聞人は、世界の新聞人の精神的確固性にまで解放される必要がある。
今日の日本人民は英字新聞『ニッポン・タイムズ』や、もし事情が許すならば『スターズ・アンド・ストライプス』などを併読しなければ自分の国の事情についても充分に知ることは出来ない。しかし人口の過半数は英語のよめない人々である。日本の民主化の困難はここにもある。
労働組合が組合新聞を発行するようになったことも日本では新しい民主的な現象である。産別機関紙『労働戦線』、総同盟機関紙『労働』その他多くが発刊されている。
従来日本の専門学校および大学で新聞学科の学生が中心となって編集した新聞を発行し、それは学内ばかりでなく一般に読まれていた。『帝大新聞』、『三田新聞』、『法政大学新聞』、『関西学院新聞』、商大の『一橋新聞』等は代表的なものであった。ところが戦争がすすむにつれ若い有識人を戦争に対する非協力な精神状態から極力戦争へ動員するために、また残酷な学徒動員のシステムを青春のヒロイズムにすりかえるために大学新聞は次第に官報的統制におかれた。学生新聞として本質的な理性の声が封じられた。そして太平洋戦争に入る頃から学生新聞は全般的に廃刊された。
一九四六年の中頃から学生新聞の再刊に着手された。今日では従来代表的であった諸新聞のほかに他の学校でも用紙の許すかぎり自分達の学生新聞を発刊しつつある。
児童のための新聞として次のようなものがある。日本教員組合が発行している『こどもの声』のほか『学童新聞』、『少年少女新聞』、中等学校初級向きの『ジュニア・タイムス』その他がある。
現在日本で発行されている外国人経営の新聞は左の通りである。
『スターズ・アンド・ストライプス』(GHQ)、『ビーコン』(英連邦占領軍)、『中華日報』(中国人経営日本語版)、『国際タイムス』(朝鮮人経営日本語版)、(朝鮮人経営朝鮮語版)、『国際新聞』(中国人経営)、『自由日報』(同上)
在日特派員クラブは現在六十一名の会員をもっている。
新聞用紙不足は一九四七年に入
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