\名から三十五名をもって構成する。さらにこの多数制の委員のなかから直接な運営委員会を選出し(五名ないし七名の男女)運営委員会はその業務内容を放送委員会に報告すべきものとされる。三十名ないし三十五名の放送委員は公民権を有する国民各層のなかから、最も適当な民主的方法をもって選出されるものとする。以上は放送委員会案の骨子であり、放送委員会は目下精力的に法案の作成に着手している。来る八月初旬に再び大規模の公聴会がひらかれるであろう。
四、東宝のその後。
日本の民主化とともに最も積極的に従業員組合を組織し、文化的に娯楽的に優秀な映画を製作してきた東宝第一組合が「焔の男」製作企画について経営者側と対立したことは前に述べた。その後東宝経営者は、興業資本の利潤追及の方向を強化して、保守的な文化性の低いスター中心に作った第二組合に、安価なエロ・グロ・剣劇映画を作らせ(渡辺銕蔵社長の宣言)第一組合を無活動におとしいれ数百名のくびきり[#「くびきり」に傍点]を行った。
輸入映画が国外の興業資本によって日本の文化に植民地的な影響を深めつつあるとき、日本の心あるすべての人々は、日本の人民生活の実感を芸術化した日本の映画の発展を熱望している。放送討論会でも日本映画の将来については大衆の熱心で支持的な発言があった。おくれた日本の映画製作の諸条件は、これからやっと正常な軌道にのせられるはずであるのに、東宝を先頭とする経営者たちは日本文化の課題としての映画製作事業の本質を全然理解しない。軍需会社で儲けたとおりの利率で儲けようとこころみている。この欲望は、非民主的な娯楽の愚民政策と一致している。
最近の二年間に多くの自立劇団、美術、音楽、詩、小説、科学のグループをもちはじめた日本の労働組合員は、彼らの休日の大きい楽しみである映画が、輸入ものかさもなければ愚劣な日本ものしかなくなるということについて、重大な関心を示している。映画製作が簡単な職場の自立製作によっては不可能であるという本質は、勤労階級の映画愛好と正比例して東宝問題の重要性を理解させた。文化における資本主義の害悪を具体的に感じたすべてのものは、日本の人民の自主的な文化を守り、それを発展させることが、経済と政治の面における人権確立にともなう実際的な一つの要素であることを自覚した。産別、総同盟をふくむ労働組合と民主的文化団体の総連合による「日本文化を守る会」が結成された。日本文化を守る会は、その会の本質として出版、ラジオ、教育などに関するすべての問題に関心を示している。必要に応じて日本の文化を守る会の調査団が派遣される。発足したばかりの会ではあるが、日本の民主的文化の確立と平和のためにこの会の活動が期待される部面は広汎である。
五、学生の抗議。
今議会ですべての公定価格を七割値上げした政府は官立専門学校大学の月謝を三倍の値上げに決定した。月謝値上げはアルバイトによってやっと学問をつづけているこんにちの日本の学生にとっては、学問の自由をうばわれることにひとしい。男女学生は月謝値上げに反対である。月謝値上げによって学問の機会をうばわれる一方に、理事会案は学問と学内の自主をそこなう危険をもってあらわれた。学問の自由と日本の学問の自主性のために全国の高等学校、専門学校、大学、一一八校の学生たちは去る六月二十六日を期して学生ストライキに入った。
日本にはこれまでもさまざまの理由から行われた学生ストライキが経験されている。しかし今回のように全日本的規模において学問の自主性のために休業が行われたことはなかった。この現象はこんにちの社会生活のあらゆる面で、さほど進歩的でない学生にさえも、民主的な民族自主の必要がどのように切実に実感されているかという事実を語っている。
日本文化を守る会が結成されたこと、このように広汎な全日本にわたって男女学生の自主的文化学問への要求が表明されていること、また各方面に日本の軍国主義とファシズムの再燃にたいしてたたかい、平和の擁護のために働こうとする人々のグループが結成されたことなどは、日本の人民が日本の運命の現実について次第に真面目な自覚をもちはじめたことを物語っている。最近のジャーナリズムにファシズムにたいするたたかいをテーマとした論策が少くないのをみても、甘やかされていない[#「甘やかされていない」に傍点]日本の民主化の現実が諒解されるであろう。
一九四六年以来文化の各方面に各種の委員会がもたれてきた。これらの委員会は民間人によって組織され、日本の過去の反民主的な文化伝統と統制とを打破する目的を与えられていた。現在でも政府の言論官僚統制として批判されている放送事業法案が委員制をもっているように、委員会のモードはすたれていない。ところがこんど制定される行政施行法によれば、すべて委員会と名のつくものは政府の統轄のもとにおかれなければならないことになる。政府にたいして独立の発言権をもてばこそ、たとえば労働委員会にしても勤労大衆の福祉のためになにかのプラスを加えることが可能である場合が多い。それが委員会であるから行政施行法によって政府の掣肘をうけなければならないとすれば、委員会本来の性格は失われる。教育委員会法にしろその規定に従えば、現在決して民主的ではない官庁の支店にすぎないことになる。日本の一般人は、権力者たちが考え出したこの狡猾な委員会の性格のすりかえにたいして注目している。彼らは対日理事会その他のアドヴァイスによって日本民主化のための各種委員会を組織しなければならなかった。やむをえず組織した委員会は表面的な日本の民主化の看板としてかかげておきながら、時をへだてて行政施行法のなかにあらゆる委員会を統制下におく方法を発明している。このような民主化のすりかえは、最近にいたってますます巧妙悪質になってきている。この場合にも彼らの利用するのは種々の弾圧力である。日本の人民は自分たちの政治的無経験がどんなに悪用されているかということについて目を覚ましはじめている。このようにして日本の民主化とその文化建設の段階は、より複雑なより自覚的な新しい第四の時期に入った。
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「思想と科学」臨時増刊号
1949(昭和24)年1月発行
※「世界生計費指数」「東京物価指数」の表中の項目は、タブで区切りました。
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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