B一般市民の過重な課税に対する抗議と官公庁勤務者たちの生活安定のためのたたかいとは互に共通な生活擁護の必然を理解しあっている。
片山内閣は難航の末、一九四八年二月十日総辞職をした。すべてのジャーナリズムを動員して吉田の自由党支持の世論をまとめようとした。しかし一ヵ月後に辛うじて形成されたのは芦田内閣である。芦田内閣は、その第一歩において二千四百円ベースの問題で波瀾に面し、その反面では、西ヨーロッパにおけると同様に日本に対する集中排除法の緩和に関するドレーパー次官との折衝に尽力している。
日本政府は追放に関する諸機関の任務が遂行されたものとして一九四八年五月十日までに審議終了、廃止することを公表した。一九四六年一月の追放令発表以来、今日まで審査件数約百万。追放該当者二十万人であった。
日本の社会および文化問題として、この追放該当者の行方が問題である。日本の民主化に関係をもって、日本の「民間人」の素質を検討することがきわめて重大な課題である。元陸海軍軍人の上級者が軍需物資を持参金として民間会社社長その他に転化した事実について知らないものはない。追放に該当したファシストたちが、「民間の
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