の共同活動がはじまった。既に満州や中国への侵略戦争に着手していて、ドイツのナチスとの提携を考えていた日本の軍事的権力は、日本ペンクラブが反ナチスの線で国際的に結ばれることを嫌った。ヴェノスアイレスに日本代表として出かけた作家故島崎藤村は、政府のこの意志をよく理解していた。各国の反ナチス決議に対して曖昧な、儀礼的な態度を示しただけで帰国した。その後ペンクラブは特に「日本ペンクラブ」と改称した。戦争と侵略とにとって邪魔にならないものにしようとした。それでさえも戦争が進行するにつれて存在が許されなくなって解散した。
一九四七年二月に、「日本ペンクラブ」は再建した。第二次ヨーロッパ大戦後における第一回国際ペンクラブの大会が、一九四六年の夏、ストックホルムで開かれた。それに刺戟されて日本ペンクラブも活動を開始した。日本ペンクラブは、「ペン」による国際親善運動を目的とし、国際ペンクラブへ正式加入して日本支部設立を計画している。事業として、現代日本文学の海外への紹介を計画している。
けれども、現在の日本ペンクラブの性格は、各方面から疑問をもってみられている。何故なら、再建された日本ペンクラブは
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