「紀の終りの日本に歌舞伎にあきたりない川上音二郎一派によって創立された。新派の俳優たちは、彼等の常套な演技と封建的な内容をもつ脚本の選択をもっていて、主として日本の小市民層を観客としていた。戦争を経過して日本の小市民層の経済状態が変化した。彼等の生活感情が変った。今日の小市民層にアッピールする軽演劇、映画その他の種類が殖え、興味の角度が複雑になった。新派の衰退はこういう社会的原因をもっている。
 この困難を征服するために「前進座」は新しい企画を試みている。彼等はユーゴーの「レ・ミゼラブル」、シェークスピアの「ヴェニスの商人」などを東京および各地の学校講堂や学校劇場で巡回上演している。
 一九四六年頃から青年男女の間に演劇熱が盛んに起った。その潮流に乗じて前進座は、この企画をある程度まで成功させている。しかし演劇の新発展を期待している人々は、一種の癖をもった新派の演技が、素直な若い世代の演劇趣味に、のぞましくない型をはめることを憂慮している。新派の演技には、小説でいう文学的に高くないフィクションの誇張と卑俗性がつきまとっている。
 新劇 日本の新劇は戦争中全くつぶされていた。新劇にはヒュ
前へ 次へ
全166ページ中129ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング