ェの一にも足りないフィルムを、出来るだけ収入の多い方法で使用しようとしている。そのために各社とも儲の多い劇映画の製作に熱中している。その劇映画も日本映画の芸術的水準を引きあげてゆこうとする努力は僅かに東宝の製作品の一部で試みているだけである。他の会社は一般の趣向の最低を狙って入場券の多く売れることだけを考えている。
 このフィルム欠乏状態はよい芸術映画製作をはばんでいるばかりでなく、日本の民主化にとって最も必要な啓蒙的文化映画の製作をほとんど不可能にしている。新しい教育のために子供たちのために利用されなければならない教育映画など殆ど作られる余地がない。真面目な日本人のすべては特にこの点について心配している。
 フィルムの欠乏と興業資本の掣肘にかかわらず日本映画の水準を高め、その独自性を確立することについて真面目な製作者たちは熱心な努力をはじめている。これは外国映画の輸入につれて起った当然な現象である。一九四六年度の記念的作品は、日本ニュース社で製作された「君たちは話すことが出来る」であった。この映画を見た人は、すべての日本人が口かせをはめられ、手かせ足かせをはめられ、生命さえおびやかさ
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