黷トいた治安維持法というものが廃止されたことを、どんなに心から喜んだかという感動すべき印象を与えられた。日本人は、一九四六年の始め頃には、本当に言論と出版と思想の自由が日本にもたらされたものと信じた。そのナイーヴな歓喜の記念としてこの一巻のフィルムは日本人に永く記念されるであろう。亀井文夫は一九四六年「日本の悲劇」を製作した。これは一つの新しい方法で戦争中のニュース映画をモンタージュしたものであった。日本の軍部が侵略戦争を強行し、拡大して行った諸段階に応じて日本の全人民がどのように戦争にかりたてられ、生活の安定を失い、破滅にのぞんだかということを強く訴える作品であった。しかし興業者たちはそのフィルムを買うことを拒絶した。口実は、観客に受けないという理由であった。しかし興業者にこういう拒絶を可能にさせる一つの圧力があったわけで、この圧力こそ今日でもまだ日本人民に戦争の犯罪性を自覚させまいとしている。四十七年度の日本映画の傑作は次の諸作品であった。東宝「今ひとたびの」(製作者五所平之助)、「四つの恋の物語」(製作者衣笠貞之助)、「戦争と平和」(製作者亀井文夫)、「安城家の舞踏会」(製作者吉
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