に日本国内にも反映し、社会党左派の一部がとったその態度は保守的政党の嘲笑を買ったばかりでなく、社会党左派そのものの内部から激しい批判を受けた。
片山哲を首班とする三党連立内閣はこのような悲喜劇のうちに成立した。自由党は野党になった。彼等の目的は野党として大衆の間の保守勢力を拡大するところにある。
日本の民主化の現実の過程では人民的な基礎に立つ民主戦線の結成を拒否し勤労大衆の急進化を恐れつつ、その反面には自党の政策として社会主義的建設をかかげている片山内閣が、吉田内閣の悪政の結果、山積している重大課題をどう解決したろうか。
日本ではじめてクリスチャンであることを政治家の人間的プラスの面としておしだしたのは片山首相であり、その何人かの閣僚たちであった。クリスチャン首相が第一声としてインフレーションに苦しむ勤労大衆に要求したのは耐乏生活であった。つづいて六月十一日に八項目から成る「経済緊急対策」を発表、同十九日に業種別平均賃銀千八百円ベースを公表した。森戸文相と笹森国務相によってとり急ぎ「新日本建設国民運動要領案」が発表され民間各方面の代表者に協力を求めた。七月には経済安定本部の「経済
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