ク体] この時期の特徴はインフレーションの進行につれて生計費の高騰のために、人民が一層の生活困難におちいった事実である。一九四七年四月に行われた第二回総選挙の結果、社会党が第一党となった。社会党首班の内閣を組織するについては保守政党との間に幾多の紆余曲折があった。日本における大財閥を背景とする自由党は社会党が総選挙で勝利したことを日本における勤労大衆の急進勢力の進出であるとみて、吉田自由党総裁は選挙直後、組閣行き悩みの際に公然と反共声明を行った。前項に引用した記者との会見談の内容をみれば、自由党が日本の民主化の停頓や逸脱を決して悲しんでいないことは明瞭である。自由党のこの反共声明は社会党左派といわれていた同党内のより少い反動主義者のグループの一部のものに極めて注目すべき喜劇を演じさせた。内閣の椅子を占めることに対して情熱を感じた左派のグループ中、加藤勘十と鈴木茂三郎等が中心となって外国記者団を引見し、社会党左派が共産党に接触を保ってきたのは、勤労大衆を同党の組合総同盟に獲得するためであった。今日この目的はほぼ達せられたから今後共産党とは絶縁するという意味の声明を行った。この声明はただち
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