ュった。
新しい短歌グループは、『人民短歌』を機関誌として、短歌の三十一字の形式の中に、今日の市民生活のさまざまの場面と情感をうつし出し始めている。反戦的な短歌が少くない。これは日本の一般人の文学的形式として親しまれてきた短歌のこころが、さまざまの階層の人々の軍服の胸の下に隠されて前線に運ばれ、そこで苦しんだ刻々の心を表現しているからである。兵士たちは、彼等の日記その他貴重な人間記録を焼き捨てさせられた。この事実が小説やルポルタージュに反戦文学の少いことの一つの理由である。彼等はマテリアルも失っている。しかし、三十一字で構成される短歌は、作者によって暗記され易かった。そして、そのいくつかの作品がいま印刷されている。
俳句は、十七字を詩形としている。俳句が伝統とした文学精神は、現実からの逃避であった。しかし今日だれが現実から逃げることができよう。よしんば彼のもつ文学表現の形式が十七字であろうと、二〇〇〇字であろうと――。俳句にも生活派の俳句があらわれた。生活的な俳句の指導者は、生活的な短歌の指導者と同じに戦争中はきびしく監視された。このように、二つの伝統的な文学のジャンルにも新しい風
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