謔、な関係でとりまいているかを、「客観的」に描き出す「社会小説」が日本の古い「私小説」をより広い性質に発展させるといっている。彼のこの文学理論は、彼の作品との関係で研究されるとき、興味あるヒントを読者に与える。丹羽の「社会小説」論においては、「客観的」ということが彼独特に扱われている。即ち彼における「客観」は、作者がただ一つのレンズにすぎないということを意味している。作家自身がどのような角度で今日の日本の歴史的条件にタッチし責任をもっているかということは、この作者にとって人間的追求の問題の外におかれている。丹羽のこの「客観」主義こそ、彼の戦争協力の正当の理論である。もし一人の作家が、歴史に対する自主的な社会的立場を自分に向って要求しないで、一つのレンズにすぎないものと認めるなら、軍部の力によって何処へその作家が送られようとその行動に責任はないことになるだろう。何を見せられようとも、また見せられた現象を皮相的にレンズにうつしたとしても、それが人道上文学上、恥ずべきことであると考えられるだろうか。彼の「客観」の理論の底には、このような心理的な人間的責任回避の動機をひそめている。読者は彼の「
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