ヘ、彼等の社会的文学的流浪の旅に、プロテスタンティズムの「内なる神」の観念を道づれとしたり、サルトルの実存主義《エキジスタンシャリズム》を加工した無の哲学を彼らの頭飾りとしたりしている。このグループの間では、まだ逆説や詭弁が好まれ評価されている。逆説と詭弁は、ある意味では屈従者の表現手法であるということについては余り重大に考慮されていないように見える。
 一九四七年に入って日本の文学界には、一つの驚くべき現象が起った。それは、林房雄・尾崎士郎・火野葦平・石川達三その他、軍の特派員として前線に活動したばかりでなく、戦争煽動のために一〇〇パーセント活躍した作家たちが、殆どすべて再び執筆しはじめたことである。諸雑誌にのる短篇と新聞の連載小説が、これらの戦争協力者の作品でうずめられはじめた。林房雄は露骨なエロティシズムをもって、尾崎士郎は風俗的小説をもって、火野葦平は彼独特の神秘主義と病的な心情をもって、石川達三はインフレーション日本の崩壊した社会面を描くことで。
 一九四七年度に起ったこの文学上の戦争協力者の復活は、日本政府が戦争責任追求に対して決して積極的でないという確信が彼等に与えられた
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