しない。日本のブルジョアジーは、その階級の高揚期に向う明治においてさえもブルジョア革命を完成する能力をもっていなかった。それが必然の原因となって、今日日本のブルジョア民主革命は勤労階級の推進力を中心にふくまなければ、ブルジョア革命さえ進行しなくなっている。『近代文学』の「近代」と「自我」は、世界歴史におけるこの日本の進みゆく現実との有機性で自身の課題の前髪をつかんでゆくようなダイナミックな知力を欠いている。彼等の「近代」は、現代からとり残されつつあり、「自我」は、既にヨーロッパでも東洋でもその破産が歴然としているブルジョア個人主義との区別を失いかけている。軍国主義は日本の知性を未発育のままひねこびさせた。『近代文学』には、その精神上の「戦争の子供」の根跡が強く残されている。このグループの若い作家、評論家たちは自身の社会的文学的活動と成長のための努力を、ジャーナリズムの上での流行児的存在にすりかえつつある。そしてもっとも危険なことは、彼等のおかれているこの時代的危険を、危険として自覚していないように見えることである。
『近代文学』のグループの人々と、それをとりまく一部のインテリゲンチャ
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