w年末になってきたらたばこ[#「たばこ」に傍点]からウィスキーまで不自由しない状態になってきたことを告げていた。
内申制は高等学校・専門学校入学に際しても中等学校から出された。ここでも、もっと大規模の形であれこれのいきさつが生じている。私立医科大学への入学は入学志望者の学校への寄附額で成績順が決まるといわれている。内申制に関するこれらのスキャンダルは、学制の適宜な運用と、設備の完備と教職員の生活の安定によって根絶されなければならない。私立の幼稚園から高等科までを包括する学校は東京・大阪その他に何箇所かある。これらの学校は子供の才能に従って自由な教育を与えるという主張によって、有資産階級の子供たちを集めている。こういう学校では両親の富の程度が入学資格を決定する一つの大きい条件となっている。親に金がなければ社会的に大きい声望が子供の入学資格に期待されている。
日本に真の民主的教育を普及させ、憲法の第二十三条(「学問の自由は、これを保障する」)、第二十六条(「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。……」)を欺瞞的でないものにするためには六・三・三制の文字通りの国庫負担による教育が実施されなければならない。
今日まで日本の教育行政は全く官僚統制でしめつけられてきている。文部省、内務省、知事、学務部長、視学、学校長等官僚体制が確立している。教育の民主化は軍国主義教育と絶対主義の精神で一貫しているこの体制を打ち破らなくては実現しない。教員組合の活動と平行してK・M・Kの努力が期待される。日本に初めて学校の運営法にまで関係する親たちの組織としてP・T・Aがつくられた。民主化を希望する進歩的な教師と見識のある親たちの協力は教育民主化のために貢献するところがあるだろう。しかし保守的な教育の官僚たちはP・T・Aを眠りこませることに努力している。組織の決定的な部分に古い官僚をはめこむことに成功している。だんだん両親たちの自覚がたかまりP・T・Aの機能を麻痺させようとする古い要素の更新がなされなければならない。
教科書の問題 軍国主義的なそして絶対主義的な教育の中心となっていた日本歴史教科書がまず改正され『くにのあゆみ』が新しく編纂発行された(一九四七年三月)。この『くにのあゆみ』は真面目に研究批判されなければならない種類の教科
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