ニした講習会などを行っている。六・三制というものはこの多数の娘達にとって全くゆがめられた形で与えられている。
一九四八年に入って六・三制の現実は再び予算問題に苦しんでいる。同時に新学期を控えて新制中学へ進む子供たちの内申書問題が重大化した。小学校から私立の新制中学へ進む子供たちのために、小学校からその中学へ向って内申書を提出するその内容が問題になった。義務教育の延長である中学入学に内申書は不必要である上に、問題の眼目は実際に等級をつけて査定していない子供達の成績をどう申告するかということと、両親たちの経済能力を申告するという点が重大な波紋をまきおこした。今日両親たちの経済能力というものは人口の八割五分までが千八百円ベースでしぼられている。収入の七〇%以上は非配給物資の購入費にあてられて育児教育費は労働者三・九%、職員三・九%である。現在帳面一冊十円する。僅か七〇円二銭の教育費で中等学校の月謝七〇――二五〇円さえ普通の手段で支払えないことは明瞭である。数学上成り立たぬ生計費でやりくりしているのが正直な親の現実である。もし内申書に親たちの経済能力を記入しなければならないとすれば、私立中学校の経営者を安心させその子供を入学させるのはすべてヤミ成金の特権者だけになるであろう。内申書問題が重大な波紋を画いた理由がここにある。二月下旬になって内申書に成績と両親の経済状態は記入しないでもよいという結論になってこの問題も落着した。しかし設備と教師のそろっている私立中等学校への入学志望者は殺到して、そのために情実入学の事実は昨今(一九四八年三月初旬)の新聞に具体的に報道されている。
日本の中等学校入学難は中等学校の数の少いことと私立中等学校の質の悪かったことなどを原因として殆ど伝統的になっている。小さい子供たちの中等学校入学試験があまりむずかしく競争が激しいので、その緩和策として内申の制度が出来たのが数年前であった。ところが内申制は競争試験よりも教師と両親と子供たちを腐敗させた。子供たちは先生の気に入るか入らないかということについて神経を働らかせるようになった。親たちは子供の内申書をよい条件で書いて貰おうとして学年のあらたまるごとに先生への心づかいを出来る限り物質的に表現した。ついさき頃の新聞でさえ内申書問題にからんで教員の投書をのせていた。それには日頃乏しい生活をしている教師が
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