謔ゥら当選、地方区で三名が当選している。四六年度の選挙で注目されたことは、意外に多数の教育者が立候補したことと、その中のある者は最高点を得ているけれども、半面に教育者の立場を選挙運動のために悪用した候補者の例も挙げられた。四六年度の選挙ではこの点の批難がおおいかくせなかったほどであったが、第二回の選挙には少くとも参議院には民主的教育者が当選したことで、いくらか一般人の教育の将来に対する見通しを明るくしている。
 一九四七年六月社会党を首班とする内閣が生れた。文相は森戸辰男になった。現在一千万名いる学童に対する六・三・三制の実施のために必要な財政的基礎を政府予算の中に確保出来ないことが、この一ヵ年間森戸文相の面している最大の困難である。日本の政府予算の歴史的性格の一つは厚生および文化のために予算ともいえない程の予算しかもってこなかったことである。戦時中予算のこの部分はすべて軍事費にくわれていた。一九四六年における議会でも、教員組合は勿論、文部省および一般の父兄たちは四七年四月から実行される六・三制のためにどれほどの予算がとられるかということに重大な関心を向けていた。大蔵省は終戦処理費の尨大なことを理由に文部予算を要求額の約一割、僅か八億円ほどに削減した。その後文部省は一九四七年度追加予算に四九億三〇〇〇万円を要求し、教員組合はヤミ利得者への高率課税による一二〇億円の支出を要求した。ところが大蔵省はこれをただの五億円に削減した。このことは各方面に重大なショックを与えた。森戸文相はあらゆる民主的団体および八〇万人に及ぶ一般両親、K・M・Kその他理解ある議員達の鼓舞激励によって大蔵省と根気強い交渉をつづけた。そして四七年七月の臨時閣議で文部省の最低要求額たる三一億二〇〇〇万円を承認させた。これによって一九四八年度にどうしてもなくてはならない教室一万四千をなんとか補充する可能性が出来た。
 しかしながら日本の子供にとって校舎不足は、最悪の状態に立ち至った。現在学級の法定基準、一学級五〇名を超えているすしづめ[#「すしづめ」に傍点]の学級は、全国の四〇パーセント以上を占めている。一六〇万人の子供が自分たちの教室を持たず、二部教授で苦しんでいる。
 新制中学は小学校から三万以上の教室をかりている。今日五〇〇万人ほどいる中学生は、明年度は約七万人も増加するであろう。これらの新制中学
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