フ宣伝機関紙であった。国民は毎日二頁の軍事官報を読まされていた。一九四五年八月十五日以後に全人民はこれまでよまされていた大本営発表がほとんどすべて虚偽であったことを知って驚いた。

 第一期[#「第一期」はゴシック体] 治安維持法をはじめ言論・出版の自由を抑圧していた法令が撤廃されると同時に、新聞民主化の動きは経営者側からというよりもむしろ読者と編集者たちとの間からたかまった。読者のための新聞、日本の民主化にふさわしい新聞の編集という要求によって紙面の刷新が行われた。社説は輿論の中心題目であった天皇制の問題、農地改革と日本の農村民主化の問題、労働人権擁護問題、憲法改正問題、総選挙について活溌にとりあげた。封建性に対する批判、官僚主義の批判、金融財閥に対する批判、戦争責任追求についても積極的であった。各新聞が投書欄を拡大し調査機関を再建した。新聞が勤労階級の民主化に助力する可能を多くするために漢字制限を行った。戦時中日本全国に日刊新聞社五十四社があって、大体一県一紙主義で統制されていた。そして数年来新聞の共同販売制が実行されていたため各社間の競争がなくなり、読者は受身に配給される新聞にあまんじた。各紙とも低調におちいった。一九四五年以後言論の自由と出版の自由とのために全国に日刊紙が続々と発刊されはじめた。そして一年後に、新しく生れた新聞社は百数十社を数える。
 各政党は何らかの形で自党の新聞発刊を計画した。日本共産党は機関紙として『アカハタ』を発刊した。日本社会党は『社会新聞』を発行している。自由党、民主党その他の政党は自由党が読売新聞を操縦しているようにそれぞれの新聞との間に経済的政治的関係を保っている。

 第二期[#「第二期」はゴシック体] 新聞が軍事的官報でなくなることを強力に宣伝することが戦後の新聞経営者の繁栄のために必要な仕事であった。第一期間、経営者が新聞の自主的な民主化や従業員の組合活動の自由を受け入れていたのはこの理由によった。第二期においては経営者のおそれた新聞経営事業の前途は比較的安全であるという見通しがついた。新聞関係の戦争責任追及も彼等が心配したほど徹底的には行われなかった。用紙不足は全国的現象であるが割当は紙の全消費量の八〇パーセントを与えられている。同時に吉田内閣の反民主的政策の現れとして全般的に勤労者の自主的民主化運動への反撃が開始され
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