A国際ペンクラブの基本的精神から遠くそれていることが認められるから。国際ペンクラブは一九三四年に、ドイツ・ペンクラブがヒットラーの焚書事件に対して抗議しなかったという理由で、国際組織からドイツ・ペンクラブを除名している。一九四六年の第一回大会においては、オランダ代表が提供した「対独協力作家の追放問題」が圧倒的多数で大会決議として採択され、ドイツ・ペンクラブの国際ペンクラブへの復帰は留保された。翌年の第二回大会で、ドイツの国際ペンクラブへの参加が可決されたのは、ドイツの民主的再建のために献身するドイツ文学者の実力が認められたからであろう。
日本ペンクラブは除名されるよりも早く、自分から国際ペンクラブを逃げたということで、対独協力の責任をまぬがれてよいものだろうか。侵略戦争協力の責任によって最近パージにかかった林房雄、その他の作家を組織員としていることが、国際ペンクラブへの正式加入にふさわしい条件であろうか。海外へ紹介する日本の現代文学作品集の中から、戦争反対の立場を守りつづけた民主主義作家の作品をオミットして、戦争協力作家の作品を網羅していることが、正当な文化の国際連携を可能とし、海外の読者の知性を尊重する態度であろうか。ましてオミットされた作家たちが今日の日本文学の代表的作品をかいている場合。日本の文化界の世論は、日本ペンクラブでの奇妙なセクショナリズムについて注目を向けている。
ユネスコ 日本においてユネスコに対する関心がよびさまされたのは、一九四六年十一月のパリ会議以後である。国際ペンクラブの第二回大会はその決議の一つとして各国のペンクラブがユネスコに対して積極的に協力することを決議した。日本においても日本ペンクラブが、ユネスコに対する関心をよびさましたのであるが、ペンクラブが日本において一種独特な反民主的傾向をもっているように、ユネスコ運動もきわめて官製品の臭気をもって出発した。
一九四七年メキシコにひらかれた第二回総会に対して、日本からもとり急いでメッセージを送るためという理由で、日本におけるユネスコ運動者たちは、一部学生を動員して日比谷で第一回のユネスコ大会を開いた。このニュースは、事後承諾の形で新聞にあらわれた。そして一般の人々を驚かした。日本の平和と自由と独立とを愛するすべての人は、ユネスコ運動者が、侵略戦争の積極的な準備者の一人として活躍してい
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