「紀の終りの日本に歌舞伎にあきたりない川上音二郎一派によって創立された。新派の俳優たちは、彼等の常套な演技と封建的な内容をもつ脚本の選択をもっていて、主として日本の小市民層を観客としていた。戦争を経過して日本の小市民層の経済状態が変化した。彼等の生活感情が変った。今日の小市民層にアッピールする軽演劇、映画その他の種類が殖え、興味の角度が複雑になった。新派の衰退はこういう社会的原因をもっている。
 この困難を征服するために「前進座」は新しい企画を試みている。彼等はユーゴーの「レ・ミゼラブル」、シェークスピアの「ヴェニスの商人」などを東京および各地の学校講堂や学校劇場で巡回上演している。
 一九四六年頃から青年男女の間に演劇熱が盛んに起った。その潮流に乗じて前進座は、この企画をある程度まで成功させている。しかし演劇の新発展を期待している人々は、一種の癖をもった新派の演技が、素直な若い世代の演劇趣味に、のぞましくない型をはめることを憂慮している。新派の演技には、小説でいう文学的に高くないフィクションの誇張と卑俗性がつきまとっている。
 新劇 日本の新劇は戦争中全くつぶされていた。新劇にはヒューマニズムと理性がある。それは軍部が絶対に好まないものであった。新劇の俳優たちは、何年間も自分たちの舞台を持たなかった。新派と合同したり、あるいは映画に出演したりして苦しい彼等の生存をつづけた。
 新劇が蒙むったこの傷は、新劇に理性があり人間性があるだけに深い影響を持った。そしてその傷はまだ治っていない。
 その上、興業資本がこれらの新劇人たちの舞台を制約している。彼等は自身の小劇場を焼かれてしまったから。日本の新劇にとって、伝統の受けつぎ手である演出者土方与志は、新劇復活の第一歩としてイプセンの「ノラ」を上演した。つづいて、オール東宝の音楽・舞踊を綜合的に活用して、シェークスピアの「真夏の夜の夢」を上演した。これは、変化に富んだ楽しませる舞台効果によって商業的にも成功した。
 新協劇団が公演したトルストイの「復活」、村山知義の監督による「破戒」なども経営的には成功した。しかし演劇的見地からはそれぞれに問題を残している。
 青年演劇人連盟が上演したドストイェフスキイの「罪と罰」、俳優座の公演「中橋公館」(真船豊作)、文学座の「女の一生」(森本薫作)などは一九四七年度の注目すべき仕事とさ
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