のような眼くばりに漂い流している現実に向って、作家は、ではどんな自己の文学の足がかりを今日もっているのであろうか。刻々の現実をその発展の過程に於て本質的にとらえ、作家としての自己と作品との世界を支配して、その創作の血肉としての意味で読者の生活にもかかわりあってゆく作家の作家たる所以の態度というものは、今日作家自身にとってどのように把握されているだろうか。
この二三年の昼夜をわかたぬ波濤の間で作家自身既にそのような本質での作家らしさを失っているというのが、飾りないきょうの姿の一面ではなかろうか。作家も読者も肩を並べてぶつかりあいながら現実に追いまくられているとも思える。方向のなさ、意欲のはっきりしなさ、昨今はみな御同然お互様と云わば近所づきあいの朝夕の挨拶のようなところがあるように思える。
読者の生活が生きている現実の一部として作家の作品の方法や内容と密接にかかわりあってゆく自然な在りようは、考えてみれば、もう何年か前から薄弱な曖昧なものとなっている。四年ほど前に、民衆のための文学ということが一部で旺に云われたことがあった。それを唱える人々は、読者を目的として意識しながら、実際には
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