いない。歴史の現実のそういう本質の契機にふれようと努力しないで、モーロアはさも自分が国家の機密に通暁している人物のように、アメリカというよその客間から客間とまわって、時代的ゴシップを喋っているに過ぎない。そのことで、彼自らが要するに、醜聞とともに書いている連中と何も本質の違った存在ではないことを示しているのである。
モーロアの本が日本でもあんなに読まれたということに、今日の日本の文化の感覚が世界的な関心を持たざるを得なくなって来ていることが語られていると思う。同時に、モーロアの饒舌の無価値をはっきりと見抜き、歴史の変化する真の動機は一人や二人の政治家の女あらそいなどにかかわらず、もっと別なところ、即ちフランスの場合ではドイツに対する伝統的な対立にかかわらず、又ゲーリングの「大砲はバタよりもずっと重要だ」という一九三六年の声明に絶えずうなされながら猶且つ一般の国民の祖国を愛する真情に対しては第五列の意味をもっているケリリスの活動やドーデの活躍に余地を与えなければならなかった原因は、フランス経済・政治のどんな紛乱からであったかという事実までを、現実にそれがあるとおりに理解するだけ、私たち
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