かしくするのである。今日の若い婦人が生活の現実を観ている心は、そのような条件をも無視するような男のひとだの、愛だのが、やすやすと身近に在ろうとは予想もしていないであろう。
 男のひとの戸主であることには、結婚についてもそういう苦しみは少ないのだと思う。長男であり戸主であり或は戸主たるべきひとがより希望さえされるであろう。男のひとの側にその両親だの同胞たちだのがついていることは、常識が当然のこととして来ているのであるから。
 知人のある弁護士は娘さん二人をもっていて、恐らくは種々に考え観察された結果だろう。二人とも廃嫡して結婚させた。その通知には、本人の幸福のため廃嫡して結婚致させたるものに御座候という文面が添えがきされていた。
 慈悲ある親は、戸主になる可愛い娘の幸福のためには、敢て廃嫡して結婚させてやるような複雑な何ものかが、日本の女の戸主の社会的な条件にこもっていることを、沁々と思わされた。
 日本では女の幸福というものの一つの条件が、偶然一人の兄か弟があったということ、戸主でなく生れ合わせた、ということにさえ見られるというわけなのだろうか。
 その弁護士さんのようにものわかりよい
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