を見出す手がかりをさがせるというのだろう。
 何か知りたくて一つの本を読む。しかしそれだけではどうも不満で、また別の本をさがす。つづけてまた別のを、と、今日の本の読まれかたの多量さのうちには、何ごとかが判ったから先へ進むという摂取の豊饒さではなくて、どうも分らないからまたほかのを読んで見るという心理にうながされた気ぜわしさ、乱読も相当の割合を占めて来ているのである。そして、読者としての作家・評論家を大局的に云えば決してその例外に置かれているのではないのである。みんなの分らないことは、作家・評論家にしても大してより多く分っているのではない実際であるとして、そのような状況から生れて来る作品が、それではその幾多の現実の分らなさを、分らなさとして表現しているだろうか。分らないことは分らないと端的に表現し追求することで、人生に積極な何かをもたらす芸術の健全なみのりがあるだろうか。
 人間生活と歴史とは抽象に在るものではないから、作家が作品を生んでゆく心情にしろ、現実ときりはなしては在り得ない。しんからの感興と情熱とを動かされる瞬間のうちには、何かの意味で今日の歴史の命がこもっているわけだが、例え
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