られていた一人の作家・評論家の読書が、近頃ではその水脈にさしつかえが生じたと共に、社会の大きな動きそのものがおのずからこれまでの読書の埒をはずさせる点もある。大体皆が同じものを読むことが多くなればなるほど、それに対して自分たちがどういう質の読者であるかということが作家・評論家にとって益々重大な意義をもって来る。そこが、はっきりとして初めて、その人々の読者にとってその作家・評論家がどういう存在であるかという点も明瞭につかまれることになるのである。
例えば今大変読まれている本にアンドレ・モーロアの『フランス敗れたり』がある。この本の読まれる理由は十分あると思える。日本の近代文学にフランス文学がどのように影響しまた風土化されたかということ迄を考えないひとでも明治以来、日本の文学愛好者の心情に、フランスの作品は常に一つの親愛な存在として感じられている。そこに素朴な空想が加えられているにしても、フランスときけば、芸術と自由な空気というものが感じられるようになっていた。現代文学の歴史のなかでフランスは文化の上におちかかる暴力への抗議者として、様々の矛盾を含みながらも動いたことは人々の記憶に新しい事実である。
フランスは今度の第二次大戦でドイツに敗北した。そのことから与えられた衝撃は或る意味では世界的な性質をもっていたと思う。何故フランスは敗れたのだろう。疑問は人々の眼の色に現われ、言葉にあらわれて、而も特に日本の条件ではその答えをどこからもつかめなかった。いち早く、フランスは頽廃した文化主義で敗れたというような解説者に対して、常識はそれが全部の答えでないことを直感していた。
モーロアの『フランス敗れたり』はこの心持に迎えられて出たのだから、読まれたのは当然だと思う。おそらくあらゆる職業と興味の角度からこの本は読まれたであろう。良書紹介などでこの本の名をあげた人々も尠くない。
けれども、実際として『フランス敗れたり』は果してどれだけの価値ある著作であるだろう。あの小著で通俗史家、報道員であるモーロアは果してどんな歴史の本質的な真実にふれ得ているだろう。モーロアはアメリカの上層の貴族趣味に向って巧に自分のフランス人としての上流的身辺を仄めかしながら、所謂《いわゆる》時の人々とその人々との会話の断片を捉えて、何か具体的めいた、重大な国家の事情や裏面に精通した人のように身振りし
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