に送られるんでは、〔二字伏字〕いと思えぬ、そう云って居るそうである。
 日本[#「日本」に×傍点]はどんな田舎にでも電燈と小学校とはあると役人たちは自慢そうに云うが、電燈がこの頃の農村の何割にとぼっているか?
 小学校六年を終る子供は半分以下で、三年四年がせいぜいのところだ。田舎から出て来る女工さんを見ればそれはよう分る。親へ手紙が満足に書けるのは何人もおらん。それだから工場主はホクホクものだ、とそのひとは腹立たしげに云っていた。
 婦人雑誌が「子供の育てかた」だのやれ「姙婦の衛生」だのときれいな絵入りで書き立てているのも可笑しいようなものだ。農村には産婆さえありはしない。よしんばあってもたのめはしない。
 日本[#「日本」に×傍点]の農村の昨今のひどい状態を話しあっているうちに、来ていたひとは私の机の上に「ソヴェートの友」という絵ばかりの雑誌があるのを見て、それを手にとり、つくづく眺めていたが、
「この写真のようなのかね、まったく」
と云った。どれね、と覗いて見ると、それはソヴェト同盟の集団農場の写真だ。耕地の労働が何台もの立派な機械でされているところ、集団農場の托児所で子供らが嬉し
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