いう危険をおそれるからではなくて、自分のような諸条件を得て、一歩ずつ歩けるものは、たとえどんなにたどたどしくても、その最もエッセンシャルな部分に全力を注ぐべきだと思うのです。そうしなくては勿体ないと思うからよ。まして健康を損われて、あの時分のように、一日に十何時間も仕事が出来た頃とすっかり違う条件[自注25]においては、ね。
先月の五日にこちらへ来て一ヵ月と十日ばかり(間で東京へ一週間)経ちました。そちらへ行くのがおくれてへこたれです。ただ生物的日々を過す生活というものはおそろしいものねえ。こんなに紛然、騒然として朝から夜までつづき乍ら、しかも何一つ、本当に何一つ形成され、造られ、のこされて行かない家庭生活は何と怖ろしいでしょう。自然子供が大きくなるの丈が何かだという生活は何とおそろしいでしょう。こうして手紙かいているということは、一縷のわたしたちの人生的糸です。
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〔欄外に〕
小包は何も出ません。従って本の目録も只御覧になった丈。しかし注文は頂いておきましょう。いつまでも閉っても居りますまいから。
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[自注25]すっかり違う条件――一九四二年、巣鴨拘置所で倒れて以来の回復しきらぬ健康状態。
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八月二十三日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(京都三十三間堂の写真絵はがき)〕
八月二十三日
寿江子の安否気づかって、あちらこちらへきき合わせていたら昨夕ふらりと来ました。そして、物のはずみで国と出会って国もこっちの家へ来るようにと云い、何年ぶりかで、ここで夕飯を一緒にたべ、わたしはうれし涙をこぼしました。うれし涙をこぼしつつ、こういう生活の愚劣さに歎息いたしました。これほどの思いをしなくては、兄と妹とがマア一つ屋根に数日くらす修業も出来ないのかと思って。近日中に出発します、つまり私一人で。途中安全となりましたし、寿の方針も未定だしわたしは一日も早く行きたいし。四種がゆくのできょう、メレジェコフスキーの『神々の復活』、レオナルド・ダ・ヴィンチを描いたもの四冊(文庫)ブルックハルトのイタリー・ルネッサンスを(全部で五冊)二包として送りました。ブルックハルトのは上巻一冊だけで相すみませんが、下巻は入手出来なかったものです、或は出版しなかったのかもしれません。四種で順ぐり送っておきます。そちらであなたに御不用のものを下げて頂くことが出来ましょうと思って。それがお互様に便宜でしょう、明日郡山駅で切符は申告いたします。成功することを心から願います。
八月二十六日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書 書留)〕
八月二十四日
夏の終りの荒っぽい天候になりました、北側の山々(安積山の山並)が、深い藍紫色に浮上って見えるようになりました。盛夏の間こちら側の北はぼんやりしているのよ。朝起きてその濃い山並を眺めやり、もう秋のこんなに近いこと、そちらのことを思います。そちらの山々はきっともっと秋めいた色をしているのだろうと思い乍ら。そして、縁側においてあるわたしの小さな行李の中みは、入れかえなければならないと。もう麻の着るものは来年まではいらないし、秋のものはもっと入用だし、戦争がすんだからにはもんぺばかりでも困るのだろう、帯も一本は入れなければなどと。
昨日ハガキに一寸書いたとおり、十日までには必ず切符を持って来ると云っていた寿江が余り音沙汰ないのですっかり心配していたら、一昨日の夕方ひょっこり来ました。八月一日に来たとき寿は心配で一人でやれないからせめて船にのる迄送って行く。そして後から北海道へ行って暮したい、そう計画したのでした。事情が変りましたからわたし一人で結構ですし、寿が北海道へ来ない方が大局としていいでしょう。しかし寿とすれば、事情が変ったから送るのもやめたし北海道もやめた、待たしてすまなかった、というべきです。あんなに縋るように自分の身のふりかたに困ったことなどケロリとしているのよ。
波瀾の中で一人で気をもんだのだから仕方もないと咎《トガ》めませんけれども、得手勝手ねえ。そして自分の得手勝手を対手の側に理由づけるところが気に入りません。切符は駄目だったのよ、どうする? 困ったというところを、「まさか行こうと思ってるなんて思いもしなかったから」というのよ。可愛気のない心の動きね。つまりわたしの心もちも自分の都合で軽重変化するのです。決して当てに出来ないわ、それが寿の直接問題でない場合。国と寿とは、互に同じこういう点でいつもぶつかり合い、互に其を共通の欠点だと思わず対手をせめるのです。小人の必然として主我的なのねえ。その主我もリップスのところ迄も行っていないのよ。即ち自我の発展としての信義、愛の恒久性の確保というところまでさえも。些細なことですけれども、わたしが寿の身の上安否について抱いている関心の誠実さ、そちらへ一日も早く行きたいと思いつつ寿の好意を信じて待っていたこころもち。其はどちらも尊重されなくてはならないものです。寿は国と全く同じね、自分の側がそういう目に会うと棒大に感じ、自分の勝手で対手をそう傷けても威張っているのよ。
きょう、午後から郡山へ行きます。そしてビューローで切符について相談いたします。今そういうことをする位なら何のために待ったでしょう。でも、もしかすればよかったとも云えるかもしれません。海の上が安心だし汽車もこわくはなくなったわけですから。そうとでも思いましょう。
いろいろの条件から、わたしはどうでも動けるようにして、その気もちで参ります。短くも長くもいられるような気もちで。
ここの生活は丁度おそろしい不揃の馬におそろしくぶぞろいな手綱をつけたチャリオットがころがって行くような生活よ。一頭の馬はじれたがって頭ばかりふり手綱をビンビンひっぱり荒びています、この馬にとっては手綱が短かすぎるのよ、
もう一頭は重い鈍いしかしおどろくべき度胸で自分のテンポを変化させようとせず、のたりのたりゆるい手綱をたるませてダクっています。小さい仔馬まで間にからんで、わたしは総合して生活というものを感じているから、まるで何というか肱がビンとなるほど一方の手綱が張ったかと思うと、たるんだ方の手綱が其にやたらとからみつき仔馬のたづなは間で、どっちがどうか分らなくなってしまうという風に感じます。その混乱の根本解決って何もないのよ。わたしは、家庭生活のこういう面には、実に疑問を感じます、十六年の末から四年、わたしも全くよく辛棒いたしました。北の国のお百姓は、お客に行って、十分御馳走にあずかってもう結構というとき、顎の下まで一杯に手を横にしてド・シュダーというのよ。わたしもド・シュダーね。こんど事情が変って生活を変ったら、そちらへ行くにしろどうにしろもうこういう生活へは、「お客」以外になりたくないわ。反対の面から国もそうなのよ。家内に、精神のつよい活動がおこるのが負担なのです「永い間は無理だね、マア静養する間がいいんじゃないか」そうだわたしかに。わたしにとって苦痛は実直なる人、勤勉なる人、何かせんとする人が、家内に一人もいないことです。
さて、午後の首尾はどうでしょうか、うまく行けば本当にうれしいけれども。もしうまく行けば三四日のうちに行ってしまえるでしょう、更に待つようなら、私は何とかします、勉強できるように。幸このあたりは比較的平穏で居りますから。わたしの苦手のうるささもありません、思ったよりずっと。尤もそちらへゆくのが分っているからでしょうが。いいときに東京を去ったと思います。
今はここまでにしておいて、あとは郡山から帰ってからね。
二十五日 半ぱな紙でごめんなさい。八行分きってあります。
きのう、はじめて明るい電燈になりました。何と晴やかでしょう。昨夜雨がふりました。雨がふるのに外が明るいのよ、庭のいろいろのものが見えるのよ。びっくりしました。井戸のところに何年ぶりかで灯がついたの、雨がふってそれでも外が明るいのにこんなにびっくり珍しく眺めるのですものねえ。東京に街燈のつくところはどこいらでしょう。本郷では西片町と大学前通り、うちの前の通りすこし丈です。あとは街燈そのものがないのですものね。
島木健作が鎌倉で病気により死去しました、ペンの手紙に「書いて、死んで、あとに何がのこったでしょう」と。
二十六日に第一次進駐が開始されます。東京湾から厚木(神奈川)の方へ。厚木というところには、農民作家なる和田伝が居りましたね地主として。
二十六日
昨二十五日は、こちらへも監視飛行が来ました。ついこの間はああいう音がすると忽ちバリバリと猛烈だったのが、きのうは旋回いくつかしてそのまま去りました。でも頭の上にああいう音がしている音[#「音」に「ママ」の注記]、みんなやっぱり一種の感情です。
さて、この第一次進駐のために全国、全海域百トン以上の船の航行制限が出て居りますので、青森までの切符は列に立てば手に入りますが、海が一寸不便です。これが解ければ今度こそ行けます。二十八日にマッカーサアが入京する由、大体それ前後に解けますのでしょう。
外人の旅行自由、信書検閲制廃止こまかいことで日々変化があるようです。
この頃は夜、本当にぐっすり眠るので、空気もいいし、又そろそろと丸くなり、大いに満足を感じて居ります。
あなたの方はいかが? やはり空気はいいでしょう? あがるものに幾分地方的な変化があるようになりましたろうか。すこしはおふとりになれそうでしょうか。わたしのように生来丸いものはぴしょりとしていると、自分で力が足りない(充実感の不足)ことばかり感じられて、迚もエイヤと机に向って、おしりをちょいと出してがんばれないわ。時候は段々しのぎよくなるし、明るくなったし、丸くなって来たし、早くそちらへ行ってゆっくりものも書きとうございます。わるくすると来月に入りますね、切符の買えるのが。
広島の原子バクダンは護国神社附近を中心に落ちた由です(ラジオ)、護国神社ってあの河の堤から入って行く公園のところでしょう? 達ちゃんいかがでしょう、本当にどうしたでしょう。四里四方瓦がとび、地中のウラニウムの放散する毒で中心地帯は人間その他の生物が棲息出来ないのですって。七十年間不毛(生物生棲不適)の地の由。ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンが社説で、この秘密を世界に公表すべきこと、一国が其を使用して権力を得るには余り恐るべき武器である。建設的提案と同じに世界に公表して新世界秩序の建設に役立たせるべきであるということはすべてのアメリカの理性ある人々の意見であると、書いた由ラジオでききました。アメリカはどうするでしょう。外電でいろいろの職業軍人の断片的言葉などから見て、アメリカは自身の内に戦争犯人を生みつつある感じです。(かりに、第二次大戦には、そういう人がアメリカとイギリスとに丈はなくて、天のキカン銃製造業、天使ガブリエルの航行機会社があったものとして)循環的不安があるのね、彼等にとって。原因に変化をもたらさない以上、不安は益※[#二の字点、1−2−22]増大し尨大して循環するでしょう、その点が分らず、ぐるぐる廻るほど、今回の教訓は彼等にとって軽微なものであったでしょうか。もし彼等が猶そのように愚劣であり得るなら、其は意識して人間的理性の判断を拒否しているからです、何かの主観的理由によって。
百トン以上の船が動かないため四種が一時停止となりレオナルドもブルックハルトもどこかで眠って居ります。すこしお待ち下さい。
きょうは颱風気味でつよい南風が吹き、空は嵐模様、北山は雲に隠見して紫色に美しゅうございます。桔梗が高い茎の上で劇しく揺れて居ります。桔梗のそばに萱と実生の松の若木があって、嵐は山中の小径の眺めのような庭にふきまわって居ります。
九月三日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書 書留)〕
九月三日
やっと進駐による航行禁止が解けたら、余り殺到のため又切符の発
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