する好意ある軽蔑」というような言葉(要約)をして居ります、ここのところが、この作家の臍ね。ゴーリキイはあんなに(「幼年時代」その他)おそるべき無智、惨酷、苦悩を描きましたが、そこには一つも好意ある軽蔑というような冷やかなものはありません。ひたむきに対象に当って居ります、描いて居ります。一歩どいてじっと見ている、と云う風はありません。アナトールという作家は明るい頭によって洞察は鋭く正しいが、荒い風に当らず育った子供らしく、ちょいとどいているのね、目ではよくよく見ているのだけれども。謂わば、人生を実によく見るが、其は窓からである、というような物足りない賢さがあります。アナトール自身はこの「好意ある軽蔑」をもって中世紀末頃のフランスやイタリーの作家のかいた「ディカメロン」その他を、人間らしい健全なものとして評価するために使った要約ですけれ共。やっぱり終りまでよんで見たい作品ですね。
 きょう、わたしのこころもちは面白いわ。何と申しましょう。夏の日谷間を流れてゆく溪流のような、とでも申せましょうか。こうして、しっかりしたやや狭い峡《はざま》を平均された水勢で流れて来た気持が、今ふっと一つの巖をめぐって広いところへ出たはずみに、くるりくるりと渦をまいて居ります。波紋はひろがって、抑える力がないようです。流れの上に、美しい幹のしっかりした樫がさしかかっています。波紋は巖をめぐって出た勢で、大きく大きくとひろがり、渦巻く水の面に梢の濃い緑を映します。やがてその見る目にさえすがすがしい健やかな幹を波紋の中にだきこみました。この底にどんな岩が沈んでいるというのでしょうか、波紋は流れすすむのを忘れたように、その美しい樫の影をめぐって、いつまでもいつまでも渦巻きます。渦は非常に滑らかで、底ふかく、巻きはかたくて中心は燦く一つの点のように見えます。樫の樹は、波紋にまかれるのが面白そうです。時々渡る風で、梢をさやがせ波紋の面も小波立ちますが、樫はやっぱり風にまぎれて波の照りからはなれてしまおうとはせず、却って、一ふきすると、枝を動かし新しい投影を愉しむようです。樫は巧妙です。それとも知れず、しかも波紋のあれやこれやの波だちに微妙にこたえて、夏の金色の光線にしずかにとけて居ります。そこには生命の充実した静謐があります。

 八月十四日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書 書留)〕

 八月十三日
 きょうは盆の入りだというので、小さい子供がすこしきれいな浴衣をきたり、花を剪ったりしてざわめいて居ります。今朝五時半にサイレンが鳴りましたが事なく目下は警戒中。小型は早朝から日没までかせぎます。
 さて、こんな漫画覚えていらっしゃいますか。サラリーマンが珍しい夏休みをもらったが、どこへか行きたい、行くには金がかかる。夫婦で地図を眺めて休み中暮している図。これは苦笑が伴うにしろ笑い草ですけれども、わたしがこうして日に一度は地図を眺め、研究して[#「研究して」に傍点]日を暮しているのは、やや惨憺ものです。いろいろな地図をみます。札幌鉄道局が十四年に出した北海道旅の栞というのは、旅行者に便利に出来ていて、網走町というところを見ると、山積された木材をつみこむ貨車の絵の上に、簡単に物産の説明があり、名所(景勝)もかいてあります。これでみると、網走の町から程よくはなれた駅から二三里入ったところに温根湯温泉というのがあって、神経系の病気にいい湯のあることもわかります。それから父が旅行に使ったポケット地図。三省堂の世界地図附図。更におどろくべきはここの家の戸棚から徳川時代に作られた内浦湾附近の地図があります。そしてわたしは安積山の風にふかれ乍ら、明治十二年発行内務省地理局の印のおしてある日本地誌提要という本をひらいて、北見というところをあけます。当時は総てで八郡あり、戸数は五百十一戸、人口二千七百七十人(女七百七十八人)あり、網走は駅路の一つの町であったと書いてあります。北海道志廿五巻という本もあります。明治十七年頃そこには病院しかなかったとかいてあります。大番屋があったと。
 祖父は若年の時、貧乏な上杉藩の将来を思って北海道開発の建議をして、年寄から気違い扱いをされました。その志が小規模にあらわれてこの開成山の事業となったわけでしょう。うちでは代々地図[#「地図」に傍点]をみる血統よ。父は若い時イギリスに行きたくてベデカーでロンドンをすっかり勉強していたために、父親が洋行帰りという詐欺にかかったのを神田の宿屋まで追っかけて行って金五十円なりをとりかえして来たという武勇伝があります。ベデカーのロンドンとその男の話すロンドンとでは違ったのですって。(一高時代のこと)
 おじいさんは、孫娘が、こうして北海道志まで計らぬ虫干しをして眺めたりすることのあるのを予想したでしょうか。札幌鉄道局の地図をみると、旅行者がいろいろ思いがけない間違いをしないように、必要な色どりが特殊区域にほどこしてあります。それをみると、わたしの切符のむずかしさが身にしみます。特に本月に入ってからはね、九日以降は。
 わたしはこうしているうちに段々一途な気になって来ます。どうしても行かなくてはすまない気がつのって来ます。その気分は、段々自分の身が細まって矢になるようなこころもちよ。雲になり風になりたいというのではなく、一本の矢となるようです。それは一条の路を、一つの方向に駛ります。そうしか行けないのよ、矢というものは。只一点に向って矢は弦をはなれます。狩人よ矢をつがえよ といういつかの詩を覚えていらして? われは一はりのあずさ弓 というの。弦が徒に風に鳴る弓のこころも ですけれども。
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わがこころ ひともとの矢 まだら美しき鷹の羽の そや風を截り 雲をさきて とばんと欲つす かのもとに いづかしの 樫の小枝に いざとばん わがこころ そやの一もと。
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 その矢が放ってくれる弓をもたない歎きの深さも矢のない弓の歎きに劣りません。或はもっともっと切々たるかもしれないわ。あとで、昼飯をたべたら、郵便局へ行って小包が出るかどうかきいて来ましょう。そして、もし出るようならわたしの代りに本と薬とをお送りいたしましょう。本は、本当に何がよいかわからなくて困ります。すこし支那関係のものがありますがどうかしら。御参考までに。『日本・支那・西洋』後藤末雄。『印度支那と日本との関係』金永鍵(この人は仏印の河内《ハノイ》、仏国東洋学院同本部の図書主任)。『支那家族研究』牧野巽 生活社版。この人は私は存じませんけれども、どういう人なのかしら。『海南島民族誌』(南支那民族研究への一寄与)スチューベル(独。民族学者)平野義太郎編。『十三世紀東西交渉史序説』岩村忍。三省堂。これは主として中世のヨーロッパ人がどんな風に東洋を知っていたかという側から書かれていてマルコ・ポーロがとまりです。創元で『河竹黙阿彌』河村繁俊。石井柏亭の『日本絵画三代志』明治からのです。著者が著者だから常識的ではありますが、気がお変りになるかもしれません。一ヵ月に一度の封緘故、本のことはよほど前もって分っていないときっとさぞ御不便でしょうと気になります。それにしてもこの前のバルザックや語学の本はついたのでしょうか。ついているのね。きっとついているのでしょう。
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目録追加。
日本美術の知識 改造文庫上下 中村亮平
トルキスタンへの旅 タイクマン 神近 岩波新書
マリアット ピーター・シンプル 岩波文庫上中下、
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 これはいつか私がまだ病気だった頃よんで貰ってお話していたイギリス海軍生成時代のことをかいた十九世紀はじめの小説で、ユーモアにみちていますがなかなか内容あり。これをよむとサッカレーの「虚栄の市」を思いおこします。インドで儲けはじめた時代のイギリスと、シンプル坊主活躍のイギリス海軍の時代とおのずから連関して。
 浮生六記 沈復(岩波文庫) これは沈の自叙伝。支那文学中最も愛すべき女とされている妻、芸の追想に、彼の芸術家としての諸芸術への識見が洩らされていて、文学として大なばかりでなく支那の大家族の風習や民法に対する一つのプロテストであるそうです。
『中世モルッカ諸島の香料』岡本良知。これは十五、六世紀のヨーロッパ人の発見航海時代と、香料の役割=モルッカの役割を辿ったもの。モルッカ民族の生活研究もついています。岡本という人は香料史を三田史学に発表していた由。
 雑然とした目次ですけれども、丁度東京を去る前にあちこちやけのこりの本やから見つけたものです。
 もし国訳(原文対照)支那文学古典をお読みになるのでしたら、国訳漢文大成の文学部が殆ど揃って居ります。鷺の宮にあります。少し送って見ましょうか。
 小説ではグスターフ・フライタークの『アントン物語』(これは一八五五、フライタークが「三ダースの弱小国の寄合世帯」から強力な統一ドイツとなった時代のプロシアの市民を描きドイツ文学のリアリズムの始祖としての作の由)。『借と貸』Soll und Haben という原名だそうです。有名な古典だそうですね。わたしは買ってもっているだけで未読ですが。シングの『アラン島』という文庫(岩波)。いつかアランという評判の映画がありました。アラン島に滞在して得た素材がシングの戯曲となったばかりでなく、珍しく伝統的な原始生活が観察されているらしいようです。イエーツがシングにアランへゆけとすすめたのだってね。ラシーヌのお化けを追っぱらいにアランへゆけと云ったのですって。チェホフのサガレン紀行とは又異って、しかし其の作家の生涯に影響したという点で同じように興味あるものではないでしょうか。
 神々の復活 レオナルド・ダ・ヴィンチ メレジュコフスキー これは面白いと思っていまだに覚えている小説です。岩波文庫の四冊です。
 北方の流星王 箕作元八 スウェーデン史を読物風にかいたので、これは彼のナポレオン時代史を官本でよんで面白かったので買ったままよまなかったもの。
 老妻物語 アーノルド・ベネット(岩波文庫、二冊)一九〇八の作で代表的なものの由。わたしは余り知らないので読もうと思って。オールド ワイブス テールズだから、妻というより女連という感じですね。しかしむずかしいから妻にしてしまったのでしょう。
 大帝康煕 長与善郎 岩波新書 近代の明君と「支那統治の要道」をかいた本らしいけれど、近頃の長与善郎は文章に流動性が欠けて。
 移動させてもって来た本たちは少くて、大した優秀なコレクションでもありません。ほかにセザンヌ、コロー、ゴヤ、ドガなどの本。
 さて、島田からおたよりがあったでしょうと思いますが、達治さんが応召しました。七月の中旬に。もと入隊したところの由ですが、八月十日頃こちら辺と同時に相当だったから心配です。のみならず、島田のことが気にかかります。お母さんのことを思うとわたしは切ない気がいたします。速達をおくれて拝見して、すぐ速達の手紙さしあげました。又昨日もかきました。ここからあすこまで何日かかるのでしょうね。以前のときと違いますから、達ちゃんの仕事のあとを人におさせになるということも出来ますまい。
 わたしがどれ丈たよりになるのではないけれども、お母さんを思うと黙っていられず、ともかく網走へ行ってお目にかかって相談して、その上で何とか方法を考えたいと申しあげました。こんなに北の果、西の果と心が二つに分れて苦しいことは初めてです。あなたのお気持ではユリが行って、何が出来なくてもいいから御一緒に暮すことをおのぞみでしょう。お母さんのお手紙をよんだとき閃くようにそう思いました。それがあなたのお気もちでしょうと。けれどもブランカとしては、どうしてもこのままあちらへ行ってしまって、どうなるか先の分らない生活へ入るのは余り切ないのです。そちらへ一度でも行って、お目にかかって、あなたがそうしろと仰云れば、ブランカは自分に与えられた義務だと思って、或はもう二度とお目にかかれ
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