注9]、感銘深くよみました。この頃の生活ではいく分その大切さが切実となって居りますし、わたしは肝臓の病気してから、ショーユより塩がすきな時があって、塩愛好です。しかし、そちらの「発見」は。塩の美味さは料理法の上から言うと、極限を意味します。最も優秀な原料を最も優秀に味わせるに料理人は苦心して塩でその持味を活かします、そして又、人間が最低の味の単位として使うものは塩です。一つまみの塩、ね。大したコンプレックスであると思います。
 調理の知識、料理法を活用せずんば、とは同感です、本当に。人間は、知能の複雑さにふさわしい食物をとるべきものです、一時間ものを書くということは、一時間歩くと同じ労作であるということがはっきりわかった食べもので生活するのが道理です。でも考えると一人の人間のもち前というものは大したものね。わたしに二時間つづけて歩けといわれたらどんなに困るでしょう。しかし二時間書きつづけることは、平常事です、もう、今日だって二時間は経ちました。快き二時間として感じます、疲れるとしても、ね。今日は友達が荷物あずかってくれるというので、午後中島田の荷と一緒に整理して夕飯まで、ひどく働きまし
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