ろうか? 多分したと思うけれども又くりかえし思うので又云うわ。くりかえしたら御免なさい。
 文学におけるテーマの積極性ということは文学上の問題として久しい前に云われました。随分いろいろにこねたわけでした。わたしは五月頃、忽然として胸を叩いて感歎したのよ。「ああテーマの積極性ということはこういうことであるのだ」と。五月の詩「五月の楡のふかみどり」のうたに連関して。云わば、はじめて鼓動としてわが胸にうったのね。一作家のテムペラメントとして内在的傾向として其は理解はしていたのですが。わかるということの段階は何と幾とおりもあることでしょう。そこで又改めて感じたのですが、文学のテーマの積極性というようなことは、よほど生活経験がいることなのね。説明してやるに骨惜しみをしては迚も分らないことなのね。文学感情=生活感情として、よ。まだまだすぐ、うんそうだというところまで日本の作家の歴史経験はつまれていません。或は最近数年間の諸経験の理性に立つ整理がされていないのではないでしょうか。この点大いに興味があります。これからは一方に輸出向日本的[#「日本的」に傍点]文学なんかが出るかもしれません。
 このこと
前へ 次へ
全251ページ中208ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング