た内浦湾附近の地図があります。そしてわたしは安積山の風にふかれ乍ら、明治十二年発行内務省地理局の印のおしてある日本地誌提要という本をひらいて、北見というところをあけます。当時は総てで八郡あり、戸数は五百十一戸、人口二千七百七十人(女七百七十八人)あり、網走は駅路の一つの町であったと書いてあります。北海道志廿五巻という本もあります。明治十七年頃そこには病院しかなかったとかいてあります。大番屋があったと。
 祖父は若年の時、貧乏な上杉藩の将来を思って北海道開発の建議をして、年寄から気違い扱いをされました。その志が小規模にあらわれてこの開成山の事業となったわけでしょう。うちでは代々地図[#「地図」に傍点]をみる血統よ。父は若い時イギリスに行きたくてベデカーでロンドンをすっかり勉強していたために、父親が洋行帰りという詐欺にかかったのを神田の宿屋まで追っかけて行って金五十円なりをとりかえして来たという武勇伝があります。ベデカーのロンドンとその男の話すロンドンとでは違ったのですって。(一高時代のこと)
 おじいさんは、孫娘が、こうして北海道志まで計らぬ虫干しをして眺めたりすることのあるのを予想した
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