めぐって広いところへ出たはずみに、くるりくるりと渦をまいて居ります。波紋はひろがって、抑える力がないようです。流れの上に、美しい幹のしっかりした樫がさしかかっています。波紋は巖をめぐって出た勢で、大きく大きくとひろがり、渦巻く水の面に梢の濃い緑を映します。やがてその見る目にさえすがすがしい健やかな幹を波紋の中にだきこみました。この底にどんな岩が沈んでいるというのでしょうか、波紋は流れすすむのを忘れたように、その美しい樫の影をめぐって、いつまでもいつまでも渦巻きます。渦は非常に滑らかで、底ふかく、巻きはかたくて中心は燦く一つの点のように見えます。樫の樹は、波紋にまかれるのが面白そうです。時々渡る風で、梢をさやがせ波紋の面も小波立ちますが、樫はやっぱり風にまぎれて波の照りからはなれてしまおうとはせず、却って、一ふきすると、枝を動かし新しい投影を愉しむようです。樫は巧妙です。それとも知れず、しかも波紋のあれやこれやの波だちに微妙にこたえて、夏の金色の光線にしずかにとけて居ります。そこには生命の充実した静謐があります。

 八月十四日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書 書留)
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