。
そう思えば、云った人自身、その言葉の心理に、ほんとに泣ける位のものだと思います。
でも、泣きながら、ということを寧ろあるよい感じやすさのように自分から評価して云っているようでした。わたしは、自分のこころが一箇の杏か何かであって、荒々しい指で、ピッピッと、皮をむかれるように、苦痛でした。しかし其を其ままに云うような友情はもう存在していないのねえ。友情というものが経験する最も深い苦痛の一つを経験したと思います。静《シヅカ》が、昔を今になすよしもがなと朗詠したのは、現実がいかに、きびしいものであるかという事実への歎息ね。
或る人に対して、寛大になり遂に、内的な要求を敢てしなくなるということは人間の絶望の一方の形ね。ある見限りをしたとき、その人に対してわたしたちの心は何と平静でしょう、よしんば苦痛一杯でも、怒りはないのね。それは寂しいこころもちね、生きている間は、真に生きていたいと、どんなに、思うでしょう、わたし共、平凡な力量のものは、全く傷つかずに、生きとおす無垢な強さをもち得ないにしろ傷痕を償う立派さはどうしても身につけなければなりません。下らぬ、あくせくと苦労で自分をひっかいて
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