得ることを文学の上に実証いたしました。神々は嘗てエデンから追放した人間が、エデンなんかいつの間にか無視して、こんな橄欖《かんらん》の園を建設し終せたことに、どんなにおどろくでしょう、自分たちが、人間に創られたものであったという身の程を、どんなに犇《ひし》と感じたことでしょう。その哄笑には、飲まず食わずで雲の上にばかりいた神々の理解することの出来ない歓喜、苦悩の克服のよろこびがこめられて居ります。今世紀のユーモアは此の図絵よ。そして、この一巻のユーモアは、人類史におけるユーモアの質を変えました。ミケランジェロの描いた人間の宇宙的な姿、しかしそこを一貫する哀愁を、今理解すると思います。ミケランジェロは高度な人間性で人類の宇宙的質を直感したのだけれども、それは未だ少なからず渾沌の裡にぼやかされ眠らされつながれていて、どこがどうつながれていると解明出来ないままにあの哀愁をこめて巨大さであったのではないでしょうか。今、そろそろとあの巨人たちはヴァチカンの天井からぬけ出してきもちよさそうにのびをし、四肢を動かし、あの眼の玉をくるりとまわすのだと思います。宇宙的なものは真の誕生を与えられるのです。

前へ 次へ
全251ページ中136ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング