ティームな感覚の表現が、そのものにとって正気に戻れる刺戟となり得るのではないだろうか、と。どんな精神科の医者も試みない実験でしょうと思います。しかし烈しい愛情はそれを試みさせるのではないでしょうか。ところがね、この崇高な熱狂もすこしあやしいのよ、高村光太郎氏の智恵子夫人が精神病になったときは良人が分らなかったのよ、そしておじぎばかりしたのよ。同時に又光太郎さんは、私のようなインスピレーションは抱かなかったらしいの、おじぎで心の髄をしぼられて泣き泣きそこをぞ去りにけるという風だったらしいのよ。人間は常に思いがけない奇蹟を思いつき行うものね。健坊が、余り人間らしく可愛いので(愛撫のうけかたが)わたしの掌には電気がおこりました、そして愛の独創性ということに思いが到ります。このテーマは素敵ねえ。全く万葉の詩人たちでさえも自在性に瞠目するにちがいありません。そういう自在性流露性と、知性の最高度なものとがとけ合っている味いというものは、神様をして恐縮せしめるものだと思います。「神々の笑い」というようなオリンパス的表現をヨーロッパ文学はもって来たけれども一九四五年五月は、それにまさる人間の笑いがあり
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