て来たから安心です。ここの畑のさやえんどうは樹がのびすぎて豆少々という姿よ。うっそうとして茂っては居りますが。キャベツが西洋の子供の絵本にあるように見事に大きく葉をひろげしんが巻きかかって居ります。林町のはどうしたかしら。虫くいになりかかっていましたが。こんな話題も入って来るとおりこういうところで暮していると、咲なんか話しかた話題実に変りますね。話しかたが変に誇張的です。どういうわけかしら。人の好意に対して誇張も加る感謝したりしているうちにああなるのかしら。そして小さい小さい話題をくどく話します。それは事が少いからね。こんな世界の大波濤の時代でも、その煽りをだけくって、狭い無智な生活にかか[#「かか」に「ママ」の注記]んでいると、そういう工合になるのね。田舎生活のもっているこわさというものを感じます。人間生活として、果してどっちがまし[#「どっちがまし」に「(東京のこわさと)」の注記]かしらなどと思います。しかし考えれば、どちらが、と対比さすべきではなくて、犬死にをせず退嬰しない、ということがなすべき生活ですね、わたしがこう感じるのもここ[#「ここ」に傍点]のこの人達[#「この人達」に
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