何しろ電報は都内で丸一日がかりですからいきなり来た次第です。郡山駅がやられたというから国民車というものもないという覚悟で靴をはいて来たわけでした。駅に下りたら攻撃を受けたとは云ってもちゃんと屋根もあれば水のみ所の鏡もあり、駅全体の空気は東京で忘れられたおだやかさです。一時預りもやっていたのよ。それはほんとうに平常の生活というものを思い出させます。人の住んでいる街道、家並のある道、それは何と賑やかなものでしょう。たのしいものでしょう。月が五日で丁度八時すぎの田舎道に照して居ります。ベン当袋だけ背負ってゆっくりと歩き出し一時間すこし歩きました。殆ど人通りのない街道が畑と田との間にさしかかり、やがて子供時代から見馴れた山の神の松林。そこのあたりに大きい池が三つあって桜の繁った葉が黒々と厚くつらなっている遙か彼方に山が見えます。月は明るく蛙が鳴いているの。そこを、わたしは一人で歩きつつ、東京をどんなこころもちで思いやったことでしょう。いとしきものをのこし来にけり。焼原の真暗ななかにすこしずつ点々と灯かげが見えるような東京。いとしいものはその灯の小さい影の下に生活をしている。切ないまざまざとした
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