よ。おどろきも心配もいたしません。太郎なんか田舎でゾロゾロよ。よく処置しておきましょう。水道は林町辺は十三日以来全く駄目となりポンプを使って暮して居ります。ガスも出ず、です。宅下げの本のこと、このお手紙の分もお話のあったことも承知いたしました。いろいろの古典をすっかりおよみになったのはさぞいいお気もちでしょう。
今メレジュコフスキーの『ミケランジェロ』を読んでいて、ルネッサンスという人間万歳の時代においても、法王やメジィチや我ままな権力に仕えなければならなかった偉大な人々の苦悩に同情を禁じ得ません。ミケランジェロの憂鬱は、彼の大いさに準じて巨大に反映したルネッサンスの暗さね、明け切れぬ夜の影です。この頃沁々思うの。未来の大芸術家は、記念すべき時代の実に高貴な人間歓喜をどう表現するだろうか、と。[自注13]トルストイはアンナ・カレーニナの第一章で、不幸は様々で一つ一つ違うが幸福なんてものは一つだというようなことを云って居ります。どうして現代の歓喜がそんな単調なものでしょう。ミケランジェロが彼の雄大さで表現し得なかった歓喜が現代にあるということは、神さえも無垢な心におどろくでしょう。丁度
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