覚悟していらっしゃいます。それにしても不明というのは腑に落ちません。わたしとしても、ここまで来て不明だということです、ではどうも気がすまないので、二三日してすこし疲れが直ったら本部へ行ってよく調べて来ようと思います。そして、分散療養させてある各所の責任部を調べ、その各所宛返事を求めて見ましょう。帳簿には軽傷とあり又別のには行方不明とあり双方に記載されて居ますのだそうです。大混乱だったのでしょう。
 友ちゃんも可哀想に寂しそうです。子供たち二人は元気です。輝の方は勝より疳の高ぶったなかなかがむしゃらな子です。割合この辺の子供は粗暴ね、東北の子供たちと一寸又違います。おかあさんはおじちゃんをたよっておいでです。子供たちにとってこわい人がいるから、と。輝にはたしかにそうね。この子は、よく導かれ、程よい重しがつかないと自分の廻転を止めかねるような男らしく見えます。父ちゃんのビールや酒を、ちょいと目がはなれると、のんでしまうんだって。
 前の河村さんのところでは、下の写真をやる方の息子が、千葉から解除になって戻り、もう一人は隆ちゃんと同じように濠北の由です。帰った人はいろいろおみやげをどっさりもって来て、あの夫婦は自足しているようです。達ちゃんのこと、あきらめにゃいけませんと二言目には云うと友ちゃんが述懐しています。その気持はよく分るわねえ。燈を明るくし、ラジオは天気予報まで云うようになったとき、あっちこっちで帰って来るとき、もう帰る希望のなくなった友ちゃんやお母さんのお気もちは想像にかたくありません。友ちゃんは臥ることもなくて暮して居りますが。
 経済の面では、自動車を処分したり、又達ちゃんが出る前に部分品の整理をしたりしてちんまりしてゆけば輝が成人する迄はやって行けようというお話です。わたし達の出来ることはいつも乍ら些少です。基本をそうして何とかやれて行ければ大いに助かります。お母さんは「わたしのいるうちは何とかやっちゃいこうが先は長いから」とおっしゃいます。「それは全くそうですが、兄や弟が子供の二人ぐらいは何とかいたしますよ」「ほんにの、うちの兄弟は仕合せと思いやりが深いからどうにかなろうと云っちょるの」友ちゃんは自分の健康が十分でないことで消極になっているようです。「これ迄あんまりふ[#「ふ」に傍点]がよかったからこんなことになったやしれん」と云っているそうです。余り、というほど仕合せを感じていたのなら、せめてもです。
 卯女の父さん、てっちゃん、鷺の宮、開成山からお見舞をもって来ました。わたし達からは百円ともかくさしあげました。わたしが帰るときには、この前野原やこっちへお送りした分ぐらいおいておこうと思って居ります。必要はないと云ったって心もちのことですから。それにつけ、こういう不幸が、いくらかわたしの収入のひらけた時に起ったのは不幸中の幸と思われます。過渡的な状況ですしあれこれと妥協点が求められているし、或線で彼我一致の利害もあり複雑ですから、決して前のめりはいけないけれども、昨今の事情にふさわしい範囲で相当いそがしくなります。
 いつぞや筑摩から金を前に借りることはしない、つまり原稿をわたすことはしないと云って居りましたろう? あれはよかったわ、筑摩は、あの頃の気分で本の内容に希望をもっていました。わたしも殆ど同じ一般の空気の中にいたから自分から云い出した題目でしたが、(それは昨年の暮近く)段々こころもちが変って、書かないでよかったわ。今のこころもちで、この状況の中で、第一番に宮本百合子の出したのは、子供時代の思い出だというのではわたしも情けなさすぎます。何も可能の第一日目に出なくたって、必要なものが出されなければならず、その必要なものというのは、昭和十五年から二十年前半までの文芸批評であり、それを極めて立体的に扱ったものであり、「十四年間」と一括されたものでなければなりません。前途に展望と希望とを与え、新しい文学の働きてを招き出す息吹きにみちたものでなくてはなりません。それは、ほかの誰にでも出来るとも云えますまい。鎌倉住いの作家連は出版事業を計画中の由。所謂職業作家が、彼等の波に漂う精神をもって、新しい日本に何をもたらそうというのでしょう。
 こちらには、読まなくてはならない本をすこし持って来て居ります。
 お母さんが、そちらからのお手紙見せて下さいました。八月二十六日の分も。そして、その中に、わたしがそちらに行く計画も変化したかもしれずとあり、その通り御洞察と思いました。
 いろいろの点から、これからそちらへ行くことはやめます。網走を知らないことは残念ですが、少くとも来年の春迄の間に、わたしがそちらへ行くことはおやめにいたします。書く仕事の点から丈云っても、資料の関係や何かで東京にいないと困りますが、食物が余り閉口で、
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