にいくらか連関があることですが、今年のはじめになって、一つの極めて有益な発見を(自分について)したことについて申上げましたろうか。別の面からはお話したように思うけれど。それは、目白にいた時分(十四年頃でしたろうか)あなたが私の仕事がジャーナリスティックな影響をうけすぎているとくりかえしおっしゃったことがありました。当時私はその警告がわかっていて、やっぱり分らなかったと思います。昨年の秋以来の見聞でわたしはどの位成長したか知れないと思います。自分の俗人的面が事にふれて痛感されたし、生活や文学について、私としては最大に(これまでと比較して)沖へ出て、明日への精神をよみかえしてみたら(この春頃)そこには根本に誤った理解はないけれども、話しかたに全くあなたのおっしゃった点が自覚されました。文章に曲線が多すぎ、其には二つの原因があります。一つは、高貴なる単純さを可能にしない理由によります。他の一つは、そのジャーナリスティックな影響であると思いました。よほど前の手紙に書いたように、あの時分わたしは面をひろくすること、接近することに熱心になっていて、その半面で足を掬われるところが生じていたのであると思います。
自分の仕事のしぶりを時々吟味してみることは何と大切でしょう。しかしなかなかそういう機会にめぐり会えないものです。只時間として仕事と仕事との間にブランクが生じる休止はおこり得るし、わたしが例えば病気で何年も仕事出来なかったという丈のことは誰の上にもおこります。でも、その休止の機会に自分が本質的に一歩なり二歩なり前進し得るということは本当に稀有なことです。大抵は「見識が高くなる」丈なのよ。この数年の間作家として一点の愧なきと申しましたが、一つ誤りをあげるなら、それは仕事のあるもの――婦人のためのものです――が当時のジャーナリズムに影響されなかったとは云えないことです。この点は作家としての回想の中にも書き洩せないことだと思って居ります。その発見の価値よりも、寧ろそれを自覚させるに到った諸事情の価値によって。
これを思うから、わたしは文学の進歩がどんなに大したことかと痛切に感じないわけに行かないのです。御同感でしょう? その時期でも文学史についての勉強などそして小説などは、同じ危険に同じ程度にさらされては居りません。これからわたしは文学の仕事しかしようと思わないというのは、そういう危険をおそれるからではなくて、自分のような諸条件を得て、一歩ずつ歩けるものは、たとえどんなにたどたどしくても、その最もエッセンシャルな部分に全力を注ぐべきだと思うのです。そうしなくては勿体ないと思うからよ。まして健康を損われて、あの時分のように、一日に十何時間も仕事が出来た頃とすっかり違う条件[自注25]においては、ね。
先月の五日にこちらへ来て一ヵ月と十日ばかり(間で東京へ一週間)経ちました。そちらへ行くのがおくれてへこたれです。ただ生物的日々を過す生活というものはおそろしいものねえ。こんなに紛然、騒然として朝から夜までつづき乍ら、しかも何一つ、本当に何一つ形成され、造られ、のこされて行かない家庭生活は何と怖ろしいでしょう。自然子供が大きくなるの丈が何かだという生活は何とおそろしいでしょう。こうして手紙かいているということは、一縷のわたしたちの人生的糸です。
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〔欄外に〕
小包は何も出ません。従って本の目録も只御覧になった丈。しかし注文は頂いておきましょう。いつまでも閉っても居りますまいから。
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[自注25]すっかり違う条件――一九四二年、巣鴨拘置所で倒れて以来の回復しきらぬ健康状態。
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八月二十三日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(京都三十三間堂の写真絵はがき)〕
八月二十三日
寿江子の安否気づかって、あちらこちらへきき合わせていたら昨夕ふらりと来ました。そして、物のはずみで国と出会って国もこっちの家へ来るようにと云い、何年ぶりかで、ここで夕飯を一緒にたべ、わたしはうれし涙をこぼしました。うれし涙をこぼしつつ、こういう生活の愚劣さに歎息いたしました。これほどの思いをしなくては、兄と妹とがマア一つ屋根に数日くらす修業も出来ないのかと思って。近日中に出発します、つまり私一人で。途中安全となりましたし、寿の方針も未定だしわたしは一日も早く行きたいし。四種がゆくのできょう、メレジェコフスキーの『神々の復活』、レオナルド・ダ・ヴィンチを描いたもの四冊(文庫)ブルックハルトのイタリー・ルネッサンスを(全部で五冊)二包として送りました。ブルックハルトのは上巻一冊だけで相すみませんが、下巻は入手出来なかったものです、或は出版しなかったのかもしれません。
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