を立てて居りました。その日光と大気の中にあなたの毛布をよくひろげて乾します。今年は東京でも、ここでも洗濯に出せませんので。東京には毛布うけ合う洗濯やはないし、ここは、その店の辺がけさも、で迚も大切な毛布はあずけられませんから。檜葉《ひば》の枝と松の枝との間に竹竿をわたして、あなたの毛布が空気を吸っている彼方には安積山の山並がございます。雑草の花が毛布の下に咲いて居ります、山百合が自然に生えて、けさ二輪大きい白い花を開きました、暑い昼間の空気にその花は高く匂います、そちらにも百合の花は咲いて居りましょうか。匂いたかく、咲いて居るでしょうか、昼もかなしけと今年も咲くときがあるでしょうか。桔梗もこの庭の野生のは色も濃く姿も大きく美しいと思います、百合も精気にみちて開いて居ります、花やの花と何という違いでしょう。
そちらの風景の大さは想像されますが、何だか眺めていらっしゃる景色の細部がちっとも分らないこと。あたり前だけれど。そこいらの空気はどんな匂いがいたしますか? 東京から行くと、ここでさえ大気は生きている草木の芳しさでいっぱいです。松柏が多いのでなかなかいい匂いの土地です。そちらの窓から流れ込む空気には、きっと海と山との交り合った調子があるのでしょうね。清涼とおっしゃるような空気で、いやな虫もいなければ、しのぎいいことね。海に近い柔らかさは、千葉の江場土でおどろくように甘美でした。そちらの海はもっと雄大で勁いから、きっと空気の工合もちがうでしょう。流氷が大したものだそうですね。高い崖の下でうち合う流氷の音が、もし深夜にきこえたとしたら、夢も北極までひろがると申すものでしょう、北極でさえも現代では只恐ろしい白い土地ではないのですものね。
そう思うと、まだまだわたし達の旅行の方式は古風きわまるものだと痛感いたします。そして、何と一寸した障害に困難するでしょう。まだまだやっと自然条件をいくらか克服したという程度ねえ。
其でも余り悪口は云えないのよ、わたしの体質は航空上非常に不出来で、上空では悪性の脳貧血をおこします、五時間以上は駄目だし、其でさえピンチなのよ、貧血で死ぬのですって。だから、もし空の道が自在になったときどうしようと全くふざけでなく心配よ。しかしそうなれば又何とか対策も出来ると申すものでしょう。船と航空機は苦手です、地の生物キノコ風ね。
七月十日に出した地図や中華国語はつきましたろうか。それとも津軽の海へのおくりものとなったかしら。それに、わたしが書くいろんな話もどういう風に届くのでしょうね、魚どもには、こういう字はきっと余り美味ではないでしょうのにね。普通に出すより書留の方が何だかましのように思えますから、これはそうするわ。この辺ですと危険な音響の方向もはっきりしているし、空気の震動も単純で林町の壕で聴く地獄の中のようなこわさはありません。対策ありという危険感よ。十分気をつけますから、呉々もお大切に。涼しすぎますまいか、おなかは大丈夫? ペコの方は? では又。
七月三十日
きょうも汗の出る位の日になりました、午前中、爆風で塵のおちた部屋部屋の掃除して午食まで一寸一休みのところ。気もちよく南北の風が通って、机の上の螢草の葉をそよがせて居ります。正午のニュースが、声というよりも大空の皺めいた感じできこえています。
そちらのお天気も快晴? そして快く風が通って居りましょうか? 数行「柳の衣桁」をよみました。ローマ人は誇張の多い凡庸な国民であったということや、実利的で戦争もその点から行ったということや、ベルジュレ先生が、哀れな彼の室で弟子のルー君やナポリ学者と話す見解も極めて肯けます。そしてこれらの部分においては、バルザックよりも時代と頭とが進んで居り、洞察も正確です。アナトールの作品としてこの現代物語は大切なものだし、注意ぶかく読まるべきものなのね、それだのに、こんな半端な翻訳しか出なくて。さわがれるには智的すぎるという風な作品よ。スタンダールの態度は同じ超俗であっても趣味のきびしさ出たらめぎらい甘さぎらいだったと思います。アナトールのは趣味のよさにしろ洗煉《リファインメント》ね。洗煉というものはむずかしくて洗煉ずきの俗っぽさがいやというもう一段上の趣味の高さがあるから面白うございます。スタンダールには、この瀟洒排斥の勇魂がありました。芥川がアナトール好きでした、何か感じるわねえ。そして作品というものは面白いと思います。思索の上での同感は必ずしも作家への愛情とならず作品への愛着となりません。同感するということと愛好するということの違いは微妙ね、人間関係におけると同じに微妙です。ロマン・ローランの「魅せられた魂」はベルジュレ先生がルー君に話したような愚劣さへの抗議をアンネットという女主人が行動として示す点は歴史的に面
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