いいわ。
 こうしてわたしはもうそちらの生活に半ば入って話して居りますが、あなたのお疲れは、さて、いかがでしょう、どんなにかこたえていらっしゃるとは思いますが、同時に、どんなにか、ほっとなすったところがあろうかとも思います。巣鴨は焼けてからは実にでしたものねえ。こんどは、わたしもここへ来て、夜の眠りの深いのにおどろきます。房総南端より、という情報が、どんなに距離をもっているかとおどろきます。十四五日までのうちにもう一度帰京して、二十日ごろそちらに立つ予定です。本月中にはお目にかかりましょうね。呉々もお大事に。

 七月九日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書)〕

 七月九日
 おひるごろ炉辺に坐っていたら「郵便が来ました」「はい、どうも御苦労さま」というのが、うしろできこえました、わたしは、「遊歩場の楡樹」をよみかけて居りました。すると、咲が、はい、はい、はいとヒラヒラさせてもって来てくれたのが、七月三日づけのお手紙でした。本当にありがとうね。
 新しいようなさきの堅そうなペンで書かれた字を、うちかえしうちかえし拝見いたしました。そちらが番外地というのは愉快ね、その上は何と読むのでしょう、三眺 ミナガメというの? それともサンチョウ? 三眺めらしいわね、一度で足りず三度も眺め、しかも飽きないというわけでしょうか。いよいよ愉快ですね、三眺めの番外なんて、健之助に云わせると全くシュテキ(素敵)だネエだと大笑いです。健之助はイイネエ! という、いかにもよさそうな感歎の表現とこのシュテキだネエを知って居ります。
 夜八時頃の上野、ひどかったでしょう? あの広いところに一杯の人々とその気分。成程とお思いになったでしょうと思います。こちらへ来る日(五日)は十時の仙台行臨時でしたが、八時から列に立ったのよ。まる二昼夜おかかりになったのね、しかし順調の方でしょう。ずーっとぶっ通しでしたろうからお弁当や何かのことも不便だし、さぞ、お疲れでしょう、おなかは揉まれたせいね。どうぞお大事に。東北の美しさには、独特な原始生命が感じられるの、御同感でしょう? 西のように人馴れしていないわ、まだ歴史に織り込まれず、自然は自然のままその営みを営んでいるようで、一種情趣がございましょう?
 木造の室にお暮しなるというのは気が楽のようです。空からのことは閉口だけれども、そこの流氷とコンクリートと結びつけて考えると、凍えるようですから。やっぱり虫が少いのね、痒いことが少い夏はどんなに快いでしょう。東京から来ると、ここでさえ、こんなに蠅が少いところではなかった筈だのに、と思い、まア何と蚊がいないのだろうと、清潔さにびっくりいたします。猶更でしょうそちらは。
 この頃すこし冷えるのね、きょうも紺がすりの下に肌襦袢を着て居ります。
 隆治さんとお母さんへのたよりは、これのあとすぐ書き御近況もおしらせいたしますから御安心下さい。
 速達はおくれたところへこちらへ廻送の分となったのでしょう。このお手紙は三日にかかれ、六日目について居ります。市内では半月以上かかりましたものね。この間多賀ちゃんから手紙が来てわたしが去年から多賀ちゃんに手紙書かない、と云って歎いて来て居りました、そうだったのかしら、と信じ難く、生活の遑しさを省みました。本当にひどかったのねえ。多賀ちゃんにもゆっくり書き、お母様もこれから御心配いただかないように書きましょう。殆ど毎日書いていたそちらへの手紙が、本年になっては、この間うちあんなにまばらになってしまったのですものね。それで十分がたがたぶりがわかるというものです。ああいう風なガタガタ暮しは、もうおしまいよ、うれしいと思います。今のうち潮が高くなって来ないうち、大急ぎで、手につらまって飛石づたいにそちらへ移ってしまえば、もうそれで落付きです。この頃のことだから、どこへ行ったにしろ其々今らしいことはつきものでしょうが、其にしてもね。内地[#「内地」に傍点]はもう2/3ばかりわたしの背後の景色となって居ります。こういう場合になったとき、経済上の理由でわたしが動けなかったりしたら、余り情けないと思って、一豊の妻を心がけていて、ようございました。つつましく暮せば一年や一年半何とかやれましょうし、そのうちには又いくらかの収入の途もつきましょう。筑摩の方からは、予約の1/3しかうけとって居ず、この間会って、あとをダラダラ借りせず、今にいくらでも入用のとき、そのときは又、片はじから返せるわけでもあるから、そのとき予約の倍も三倍も出して貰うから、と話しておきました。
 六月一日に御注文の衣類。忘れたのでなく手おくれになってしまったのでした、御免なさい。合いから夏ものみんな田舎でとりよせるのが、間に合わなかった次第です。シャツは壕の中で時機を失った到着を
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