心からたのしく働いて暮して、わたしをのんびりさせて休ませ、能う限り営養を与えようとまじり気なくやってくれました。わたしにしろ、あの生活を見、一人でどんなにやっているかという骨折をみては、皿小鉢がきたないまんまつくねてあるのを見ても、やっぱり黙って井戸端へもち出して、きれいに洗っておいてやる気にしかならず、全く寿の存在が、ここへ帰っても、遠い江場土に小さい糸芯ランプの灯がぽつりとついていてそこに浮んでいるちょいと煤のくっついたあのひとの若い顔が見えるようになりました。いろいろの原因で動揺していて苦しい寿への愛情が落付く地盤を見出して、わたしはどんなにうれしいでしょう。わたしの生活へ関心をもつものは妹しかなく其とてもグラグラして、御都合主義で目先三寸の智慧で情けないことだと思って居りましたが、寿の暮しの実際をみると、つまり一人でまわりきれないところから来るいろいろの欠点であると思います。御都合主義と同じことになってしまうのも謂わば洗いきれずにつくねてしまった皿の類なのね。すこし落付いてピアノでも弾くためには一人であらゆることを延《ノベ》時間でやらなくてはならない生活ではどこかがきっと廻りきれません。生活上の配慮を一人で万端やって、それも不馴れだから対人的にも十分しっとりと落付き切れないようになってしまうのでしょう。菰垂れの姫よ。現代の。それをあのひとは向う意気のつよい人だから頼りなさをそのままに表現しないで、こわいものなしという風に体でも言葉でも表すから(つまりの弱気)あのひとのいじらしさがしんから分るまでには時間のみか、情況の適当なめぐり合わせが入用という手のこんだことになってしまうのね。菰垂れの家は、ぐるりに豌豆の花を咲かせながら、清純な江場土の空と柔かく深く大きい夜の中に何と小さくあることでしょう。あんなところに、ああして、あのひとがいる、ということは普通のことではないわ。ローソクの光で、夜、一人きりのとき何年ぶりかで心から弾いたピアノの響も忘れかねます。わたしの生涯のうちでも独特な意味をもった十日でした。時期といい内容と云い。たった十日がこんなに充実ししかも永続する意味をもって過されたことをよろこんで下さるでしょうと思います。わたしがいた間、もし寿に気の毒なことをしたと云えば、其は、一度ならず、あなたのお好きなものを、ついあなたに結びつけて噂してしまったことだと思います。玉子を見たりしたとき、ね。その人をその人の生活の場処でみるということは極めて大切なことね。
さて、きのう帰って、十日朝のお手紙頂きました。これも一つの記念的おたよりと思います。
季節としては先ず先ずね。梅雨前ということも。ことし、のみはやはり少なくないことでしょう。ことしのノミは余り皮膚とその上のものとの間が単純なのでびっくりするかもしれないわね、そして却ってとりよいかもしれません。
きのうは帰ったばかりでしたが午後から一寸丸の内まで用で出かけました。御旅行先はまだきまっていないでしょう? 二銭、一銭のこと承知いたしました。が、これは多分江場土ででも買って貰わなくては。本郷と駒込の郵便局が一つになって駒込中学にやどかりして居ります、切手類一切なしよ。こんど中央できいてみましょう。いずれにせよ調べて送れるようにしておきます。
本のことエハガキのこと、衣類のことわかりました、来週(きょうは日)水曜か木曜にそちらへ行き一まとめに運べる方法を講じ、すっかり自分で整理いたします。ナフタリンのことなども分りました。
予約ものの送先変更のこと承知いたしました。そういたしましょう、田舎暮しでは雑誌がなくなったのだからこういうものも大切です。
隆ちゃんへのたより島田へのたよりのことも定期用件のうちに加えてちゃんといたしましょう。時間がないとは決して云えなくなりましたから。
この手紙は、同じ食堂ですが、いい工夫してかきはじめました。長原孝太郎という古い洋画家の家から低く脚を切った椅子を二つもらいました。まるでまるで低いのよ。かけいいの。そこでふと思いついて、廊下で塵に埋れている太郎が一年生になったときの学童机をもち出して、ガラスに近くおきました。今のここのメムバーでは腰かけて食事すると、公衆食堂のようだと思う人々ですから。適当な大さのテーブルなく、一方で坐っているのに聳えたつのはこまるし居心地わるく坐っていたのよ、いかにも主婦机となりました。赤いつばきのおくれ咲き一輪をさして。しかし主婦机というものは、どんなに小さくてよいかということにびっくりいたします。半ペラならこれで十分だし手紙だけならこれで十分よ。しかし小さい卓は卓面のひろがりが人に与える落付きというものをもって居りませんね。一つきりの引出しに手紙道具、右横の物入れになっているところにはノリやメモや本や名
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